私立正瞭賢高等学園《しりつせいりょうけんこうとうがくえん》。
グラウンドにはピンク色の花が辺り一面に舞っている。まるで新入生の入学を祝っているかのようだった。
私、岩崎理名《いわさきりな》は、入学式が執り行われている体育館の中で、物思いに耽っていた。
ここに集まる多くの生徒の目には希望が溢れている。
その中の一人がぼーっとしていようが、気にかける者はいないはずだ。
同級生であるらしい男の子が壇上に上がって、新入生代表の言葉を述べているのにも気づかぬままであった。
薄紅が舞う窓外をぼんやりと眺めながら思い出すのは、丁度今の時期に亡くなった母親のことだ。
私が中学三年生に進級した春のことだった。まだ桜前線が関東まで来ておらず、花は開花していなかった。
その光景がもの寂しかったことを、ぼんやりと覚えている。
始業式を終えて帰宅しようと、昇降口の下駄箱に手を伸ばした時である。
「三年四組、岩崎理名さんよね?
今、病院から連絡があって、お母さんが……岩崎 鞠子《いわさきまりこ》さんが、亡くなったって……!」
名前も知らない先生がそう言ったのを聞いて身体の震えが止まらなくなった。
目の前の景色が、不気味に歪んだような気がして、嘔気をもよおしそうになった。
それを何とか堪える。
乱暴に上靴を下駄箱に放り込み、紐さえも結ばないままスニーカーを履いて、校門前に停まっているタクシーまで走った。
わざわざタクシーなんて呼ばなくても走って行ったのに、と心の中で毒づいた。
「お嬢ちゃん、どうしたの?
気分でも悪いのかね。
顔色が悪いよ、飴でもあげようか」
親切に話しかけてくれるタクシーの運転手の声なんて耳に入らなかった。
私は父から貰った昼食代の余りの千円札を運転手に放るように渡した。
「お釣り、いらないですから」
それだけを何とか呟いた私は、流想医科大学病院《るそういかだいがくびょういん》の自動ドアを息切れしながらくぐった。
母の病室への行き方なら、足が勝手に動くぐらいに身体が覚えている。
485のナンバーと「岩崎 鞠子」の文字を確認せずとも分かった。
父親のすすり泣きが、外にも漏れている。
そっとドアを開けると、父の泣き濡れた顔が真っ先に目に飛び込んできた。
視線を移すと、母の顔には白い布が掛けられていた。
それをそっと捲ると、母は、まるで眠っているかのようだった。
目はしっかり閉じられている。
今にも目を開けて、「理名」と声を掛けてくれそうな気がした。
母は、ステージⅣの子宮頸がんで、余命は半年と言われていた。
高校受験の頃まで、母は生きていてくれるものだと思っていた。
母が抗がん剤の副作用で苦しんでいるときも横で見守ることしか出来なかった非力な自分を思い出す。
それが悔しくてなのか、母の死が哀しいからなのか。
あるいは両方の気持ちからなのか。
それは今でもわからないままだ。
瞳からとめどなく涙が溢れてきたのを、あれから一年が経った今でも鮮明に覚えている。
ぴゅう、と吹いてきた春相応の、まだ少しだけ冷たさの残る風で、回想は止まった。
気付けば、周りの人は皆、壇上の人を見て拍手をしている。
よく見ると、そこにいるのはPTA会長であるらしい。
顔すらはっきり見ていない、同級生の男の子の出番はもう終わっていたようだ。
今日入学したばかりの新入生が歌えるはずのない校歌をそれっぽく口ずさんでから閉会の辞が長ったらしく語られた。
壇上の髪が後退寸前の教頭先生とやらは、ここのパイプ椅子に座っている生徒と保護者の突き刺さるような視線に気付いているのだろうか。
絶対に気付いているはずがない。
あるいは、素知らぬふりをしているのか。
きっとそうだ。
そうに違いない。
でなければ、こんなに長々と話せるはずがないのだから。
教頭がゆっくりとした足取りで壇上から降りた後、終了のアナウンスがあった。
入学式はやっと終わった。
長かった……
グラウンドにはピンク色の花が辺り一面に舞っている。まるで新入生の入学を祝っているかのようだった。
私、岩崎理名《いわさきりな》は、入学式が執り行われている体育館の中で、物思いに耽っていた。
ここに集まる多くの生徒の目には希望が溢れている。
その中の一人がぼーっとしていようが、気にかける者はいないはずだ。
同級生であるらしい男の子が壇上に上がって、新入生代表の言葉を述べているのにも気づかぬままであった。
薄紅が舞う窓外をぼんやりと眺めながら思い出すのは、丁度今の時期に亡くなった母親のことだ。
私が中学三年生に進級した春のことだった。まだ桜前線が関東まで来ておらず、花は開花していなかった。
その光景がもの寂しかったことを、ぼんやりと覚えている。
始業式を終えて帰宅しようと、昇降口の下駄箱に手を伸ばした時である。
「三年四組、岩崎理名さんよね?
今、病院から連絡があって、お母さんが……岩崎 鞠子《いわさきまりこ》さんが、亡くなったって……!」
名前も知らない先生がそう言ったのを聞いて身体の震えが止まらなくなった。
目の前の景色が、不気味に歪んだような気がして、嘔気をもよおしそうになった。
それを何とか堪える。
乱暴に上靴を下駄箱に放り込み、紐さえも結ばないままスニーカーを履いて、校門前に停まっているタクシーまで走った。
わざわざタクシーなんて呼ばなくても走って行ったのに、と心の中で毒づいた。
「お嬢ちゃん、どうしたの?
気分でも悪いのかね。
顔色が悪いよ、飴でもあげようか」
親切に話しかけてくれるタクシーの運転手の声なんて耳に入らなかった。
私は父から貰った昼食代の余りの千円札を運転手に放るように渡した。
「お釣り、いらないですから」
それだけを何とか呟いた私は、流想医科大学病院《るそういかだいがくびょういん》の自動ドアを息切れしながらくぐった。
母の病室への行き方なら、足が勝手に動くぐらいに身体が覚えている。
485のナンバーと「岩崎 鞠子」の文字を確認せずとも分かった。
父親のすすり泣きが、外にも漏れている。
そっとドアを開けると、父の泣き濡れた顔が真っ先に目に飛び込んできた。
視線を移すと、母の顔には白い布が掛けられていた。
それをそっと捲ると、母は、まるで眠っているかのようだった。
目はしっかり閉じられている。
今にも目を開けて、「理名」と声を掛けてくれそうな気がした。
母は、ステージⅣの子宮頸がんで、余命は半年と言われていた。
高校受験の頃まで、母は生きていてくれるものだと思っていた。
母が抗がん剤の副作用で苦しんでいるときも横で見守ることしか出来なかった非力な自分を思い出す。
それが悔しくてなのか、母の死が哀しいからなのか。
あるいは両方の気持ちからなのか。
それは今でもわからないままだ。
瞳からとめどなく涙が溢れてきたのを、あれから一年が経った今でも鮮明に覚えている。
ぴゅう、と吹いてきた春相応の、まだ少しだけ冷たさの残る風で、回想は止まった。
気付けば、周りの人は皆、壇上の人を見て拍手をしている。
よく見ると、そこにいるのはPTA会長であるらしい。
顔すらはっきり見ていない、同級生の男の子の出番はもう終わっていたようだ。
今日入学したばかりの新入生が歌えるはずのない校歌をそれっぽく口ずさんでから閉会の辞が長ったらしく語られた。
壇上の髪が後退寸前の教頭先生とやらは、ここのパイプ椅子に座っている生徒と保護者の突き刺さるような視線に気付いているのだろうか。
絶対に気付いているはずがない。
あるいは、素知らぬふりをしているのか。
きっとそうだ。
そうに違いない。
でなければ、こんなに長々と話せるはずがないのだから。
教頭がゆっくりとした足取りで壇上から降りた後、終了のアナウンスがあった。
入学式はやっと終わった。
長かった……