売れ筋チョコ



カスミは、駅地下のスイーツ街へ向かった。同僚や、取引先の男性へ、お義理でプレゼントするチョコを買うために。


今は、多少気になる相手がいないこともないが・・・恋人と呼べるほどの付き合いをしている特定の相手もいない。


クリスマス辺りから、年を越してこのバレンタインデーのために、あえて無理に恋人をつくってしまう子も多い。妥協の産物といってしまうとちょっと言葉が悪いが、それこそ、とりあえず彼氏ってところかもしれない。



カスミは、そんなとりあえず彼氏を無理くり作ってイベントデーに備える年齢は、ちょっと過ぎてしまった。と思っている。


「このチョコは、一番の売れ筋でとっても人気商品です!」
チョコを山積みにした売り場で、男性店員が誰に云うでもなく声をかけていた。


カスミは、その店の前で立ち止まった。そして、男性店員が指し示したチョコに目をやった。


「へぇ、これが今年の売れ筋チョコなの?」


その売れ筋とやらは、小さなハート型で、ピンクとホワイトとブラウンの3色のチョコが2つずつパッケージングされていて、ぱっと見、女性の目を引きそうなデザインだった。

「これは、味も抜群で、まろやかな甘味にちょっと大人の苦味がブレンドされていて、さらに口どけも素直なんですよ!」
型通りの説明をしながら、その店員はカスミの前へ歩み寄った。


その瞬間、カスミは懐かしい匂いを嗅いだ。


はるか昔に、そう・・・おそらく子供の頃かもしれない。


これと同じ匂いの空気に包まれながら、わたしはやわらかな安心感を味わっていた。


男性特有。おそらく、タバコとかお酒とか、汗とか・・・が微妙に入り混じった苦い空気。女性からは決して発することのない、その空気の心地よさだった。


「これって、製造元は有名なメーカーですか?」
カスミはどうでも良いことを、口にしていた。もう少し、この空気を嗅いでいたかった。


「はい、大丈夫ですよ!これはヨーロッパでも有名なブランドもののチョコレートですから、間違いなく一流の逸品です」


店員は、いつも以上に、大げさに云っている自分に気づいた。


この女性と、1秒でも長く、ひと言でも多く、言葉を交わしていたい。


「これは実は、男性が好む甘みを研究して作られたチョコレートなんです。だから、バレンタインデーのプレゼントには最適。というか、バッチリです!」


この女性と、以前、どこかで会ったことある?


やばいくらい、可愛い人だな・・・


いや、テレビとか出ている有名な人かな?


こんな女性は、どんな男を好きになるんだろう?


こんな女性から、チョコを貰えたら、最高だろうなぁ!



彼の頭の中を、ほんの数秒の間に、様々な想いが駆け巡った。




「男性の好みの甘みかぁ・・・」



ひとりごとのようにカスミはつぶやいた。



この人には、当然、チョコをくれる可愛い彼女がいるんだろうな・・・


ラブラブなのかな・・・・


まさか、彼女がいないなんてことはないだろうな・・・



こういう人にチョコを渡すなら、ドキドキして楽しいだろうなぁ!




「じゃぁ、この売れ筋を6つください」
カスミは、予定よりも1つ多くチョコを買った。



「はい、ありがとうございます!」
彼は、チョコレートを手提げの紙袋に入れて、お釣りと一緒にカスミへ手渡した。



その翌日。カスミはまた会社の帰りに、その駅地下のお菓子屋さんの前を通ってみた。



昨日の男性店員の姿は、見当たらなかった・・・。


その次の日も・・・


その次の日も・・・


彼の姿は見当たらなかった。


そしてバレンタインデー当日。


彼は店先で忙しそうに、女性客の応対をしていた!


山積みになった売れ筋のチョコの山の前に立ったカスミに、彼は同じように声をかけた。

「このチョコは・・・いらっしゃい。先日はありがとうございました!チョコの反響どうでした?」
彼は、カスミを覚えていてくれた。


「まだ、これからですよね・・・」
カスミは答えた。


「そうですよねぇ~。今日がバレンタインデーでした・・・」


「これ、よかったら食べてください!この店一番の売れ筋のチョコレートです!!」
カスミは、緊張を隠すように大げさに笑って、チョコの包を彼に渡した。