「千代子さん、そんなに先生を責めないでくださいな」


「でも奥様っ」


「主人はうまく土砂を渡りきったのかもしれないでしょう?

見失ったと先生は言ってるだけで、なにも崖から落ちたのを見殺しにいた、と言ってるわけじゃないんですから」


楽観的ともとれる桔梗さんの口調に、千代子さんはまだ何か言いたげだったが、ぐっとこらえ、身を引いた。

しかし、それを見たシゲさんが立ち上がる。


「おい、そんないい加減でいいのかよ?
旦那、崖に落ちて助けを求めてるのかもしれないんだぜ?
あんただってそう言ってただろ?」


シゲさんの言葉はもっともだと思った。

しかし、快さんはそんなシゲさんの手を掴み、首を横に振る。

言っても無駄だというような表情で。

そのやり取りを見た桔梗さんは、不快そうに眉間に皺を寄せ、シゲさんに射るような瞳向けた。


「だったらどうしろと?
どうやって助けに行けと?

あなたが行くのなら私は止めません。

私はこの家を守る義務があるのです。

客人の分際で余計な口出しをしないでくださる?」


威圧感を与えるような口調。

シゲさんは言い返すことができず、舌打ちしながら椅子に座る。

刺々しい空気が室内に流れた。



三雲さんがいなくなった。

確かに桔梗さんが言うように、うまく土砂を超えたのかもしれない。

でも、足を滑らせて崖から落ち、動けなくなっている可能性だってある。

後者ならシゲさんがいうように助けに行った方がいいのでは?

食事部屋唯一の、小さな窓に目を向ける。

雨は勢いを増し、窓に大きな水滴を叩き付けていた。

この状況で土砂に近づいたら、二次被害を招くかもしれない。