加岐馬島に行くには、福岡から長崎県の対馬に向かい、、そこから漁船で渡るしか方法がない。
姉はこの対馬から福岡に向かう飛行機で、事故にあった。
時間にしてほんの二十分という、飛空時間のなかで。
町の中心に墜ちていたら、国内で過去最悪の航空事故となっていたかもしれないこの事故は、今でもニュース番組で取り上げられる。
今回わたしが加岐馬島に向かうにあたっては、どうしても飛行機を使う気にはなれず、フェリーを利用した。
飛行機に比べると倍以上の時間がかかるが、飛行機は見ることすら苦痛なのである。
五時間近い時間をかけて対馬につくと、港には志摩家からの迎えの船がいた。
操縦していたのは加岐馬島で漁師をしている中年の男性だったが、同乗していたのが多恵さんである。
手のひらより大きな照明が多数ついた青い漁船に乗り込むと、そこから一時間ほどで目的の加岐馬島についた。
加岐馬島の渡船所にいたのが、雪君。
漁師の男性にお礼を述べ、その後、志摩家のある村はずれの山を登った。
角度はさほどないが、小石がごろごろとしていて足場が悪い。
山道はガードレールなどがないため、足を踏み外しでもしたらそのまま転落しかねないし、乗り物酔いで疲れた体にはなかなか酷な道のりだった。
多恵さんが言ったように、夕日はとても綺麗だったけど、姉がここのどこに惹かれたのか、いまいちぴんとこない。
何度も足がもつれそうになり、そのたびに雪君が心配してくれるのが申し訳なかった。
姉はこの対馬から福岡に向かう飛行機で、事故にあった。
時間にしてほんの二十分という、飛空時間のなかで。
町の中心に墜ちていたら、国内で過去最悪の航空事故となっていたかもしれないこの事故は、今でもニュース番組で取り上げられる。
今回わたしが加岐馬島に向かうにあたっては、どうしても飛行機を使う気にはなれず、フェリーを利用した。
飛行機に比べると倍以上の時間がかかるが、飛行機は見ることすら苦痛なのである。
五時間近い時間をかけて対馬につくと、港には志摩家からの迎えの船がいた。
操縦していたのは加岐馬島で漁師をしている中年の男性だったが、同乗していたのが多恵さんである。
手のひらより大きな照明が多数ついた青い漁船に乗り込むと、そこから一時間ほどで目的の加岐馬島についた。
加岐馬島の渡船所にいたのが、雪君。
漁師の男性にお礼を述べ、その後、志摩家のある村はずれの山を登った。
角度はさほどないが、小石がごろごろとしていて足場が悪い。
山道はガードレールなどがないため、足を踏み外しでもしたらそのまま転落しかねないし、乗り物酔いで疲れた体にはなかなか酷な道のりだった。
多恵さんが言ったように、夕日はとても綺麗だったけど、姉がここのどこに惹かれたのか、いまいちぴんとこない。
何度も足がもつれそうになり、そのたびに雪君が心配してくれるのが申し訳なかった。
