消印の日付は二日前になっていて、加岐馬と書かれていた。

加岐馬(かきま)。


そう、今わたしがいる場所である。

中には小さな銀色の鍵がひとつ入っていた。

メモなどはない。

人差指の第一関節ぐらいしかない、本当に小さな鍵だった。

手つかずになっている姉の遺品の中には、鍵がついたものは見つからなくて、両親の反対を押し切り、わたしは姉が住んでいた、加岐馬島にやってきた。

この手紙は、姉がわたしに送ろうとしていたものだと思う。

それを誰かが代わりに送ってきたんだと。

その理由が知りたかった。

何故今、送ってきたのかも。


姉は確か恋人がいたはずだ。

結婚を考えている人がいると、聞いたことがある。

でも両親は、名前も顔も知らないそうだ。

わたしはその人が、送ってきたんじゃないか、そう思っている。

なにか見せたいものがあって、それで手紙を出したんじゃないかって。


そう考えたわたしはすぐに、生前姉が暮らしていた、加岐馬島の志摩家に連絡した。

姉は志摩家に間借りしていたのである。

加岐馬島は全島民が百人にも満たない。

古くから住み続けているもの以外、新たに外部から移住する者は珍しいとかで、一時的に滞在するものや、単身者は志摩家に部屋を借りることになっているのだという。

姉は大学在学中に、野草の研究で訪れた加岐馬島の魅力にはまり、卒業後、自らの意思でここに引っ越してきた。