屋敷中が蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
 
 悪魔の襲来を感知することが出来たとはいえ、既に悪魔たちは王都のすぐ近くの街まで来てしまっている。
 本来召喚されるか、偶発的にこちらに引き寄せられない限り悪魔がこちらの世界に干渉することは出来ないはずなのに。

 かつてない事態に、聖女の力が何よりも求められていた。

 「マリアンヌ・ファステッタ!聖女様がお呼びだ!」

 扉の向こうから、騎士の怒号が響いた。
 先程までの日常はどこへやら、姉様のスコーンの味すら飛んで行ってしまった。

 「直ぐに向かいます!ありがとう!」

 およそ一月ぶりに、巫女の正装に身を包んだ。
 
 シンプルな白の絹のロングドレス。
 動きやすいように開放的な胸元と背中には契約した精霊の…アレクシオの風の紋章が刻まれている。

 唯一『自慢できた』抜けるような白い肌に刻まれた新緑色のそれは、どこか幻想的だと他人事のように思う。

 悪魔の進行などまるで遠い出来事のように感じてしまう。
 こんな時こそ、姉様の傍で理性的な判断を下さなければならないのに。
 その為に勉強をしてきていたのだから。
 
 ぼんやりと髪に櫛を通す。
 するりと櫛から抜けていく銀色のそれに太陽の光が反射している。

 「…貸せ、やってやる。」

 櫛を取り上げられ、やっとアレクシオが具象化していることに気付く。
 そんなことにすら気付かなかったことが無性に恥ずかしい。
 
 鏡に映った首筋や耳が仄かに赤くなっている気がして、鏡を直視できない。

 「…落ち着け、マリア。俺が居るんだから、お前は大丈夫だ。」

 「珍しく優しいね、アレク。」

 八つ当たり気味に憎まれ口を叩いてしまう。
 柔らかく髪をすり抜ける指がくすぐったいのも影響しているだろう。