山崎がこの世を去った次の日、横浜に着いた富士山丸は負傷者を病院に収容した。




そして15日、私達は船旅を終え品川に着いた。





まだ傷の癒えていない近藤や沖田らはそのまま和泉橋医学所へ送られた。