大人しかった私だが。
小学校は割りとたんたんと進んだ。
悪口は言われはしていたけれど、まぁ耐えられる程だった。
中学に上がると同時に私は部活動に入った。
今思えばこれが間違いだったのかな。
バスケ部の1年生は全部で6人。
私が一番背番号が遅かった。
中学三年生の時。

私はなぜか独りになった。
友達という存在が全滅したのだ。
前々から私の悪口を言っていたり私を妬んで僻んでいたりしていた人はいた。

でもまさか友達0になるなんてね。
1年間本当に辛かったな。
体育の時間のグループ。
何かのグループ。
休み時間。
一人行動。

そんな学校生活なのも徐々に慣れていった。
私は勉強も衰え、結構成績良かった物がぐんと下がってしまっていた。
中学三年なのに。
このままじゃ高校行けない。
どうしよう。

毎日毎日が悲しくて学校になんか行きたくなかった。
終わりの方には休みがちになってしまった。
それでもちゃんと行っていた。
本当、偉いと思う。
回りで楽しそうにしている人が憎い。
なんで私が。
どうしてこんな優しい私なんかが。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。

勉強も何もかもやる気を無くした私は
底辺の高校を選ぼうかと考えた。
でもそんな所はあまり行きたくない。
母親にあなたなら頭良いところ行けるよと言われ、頭良いところを選ぶ事にした。
それを三者面談で担任に伝えたら鼻で笑われた。まるで嘲笑うかのように。
死ねよ。
笑ったな。
私を笑ったな。
殺してやる。
殺してやる。
私を笑うやつはみんな皆殺してやる。
そんな感情すら芽生えた。

めでたいことに私は頭が良い高校に合格出来た。
すげーじゃん私。
天才。
見たか担任。
見たか。
凄いだろ。

県内の統一模試では最初D(最低レベル)評価だったものが最後にはB(最高レベルから2番目)評価に上り詰めた。
合格確実性があるA評価は取れなかったものの合格できたのだ。

無事高校に上がる事が出来た。
私の学校からは男子が3人同じなだけで女子は居なかった。
良かった。
安心。
まぁその理由で選んだ高校でもあったのだけれど。

高校は結構大変だった。
特に朝早く起きるのが。
高校で私は何もかも変えようと思っていた。
でもそれは甘過ぎた。

また言われている。
悪口を。
コソコソコソコソ。
直接言ってこいよ。
一対一で面と向かって言ってみろよ。
言えないくせに他人と僻むんじゃねぇよ。
ウザい。
そして苦しい。
なぜ私は嫌われやすいのだろう。
多分人と違うから。170ある身長とクールな顔つき。

しょうがないじゃねぇか。
遺伝子は変えられないんだよ。
身長縮まないんだよ。
顔つきもクールなままなんだよ。

なんで。
私はいつもこんななんだろう。
帰りの汽車を待つ時間私は回りにバレないように毎日泣いていた。

もう限界が来ていた。
何もかも楽しくない。
辛い。
苦しい。

私は前期試験の当日から
晴れて不登校になってしまった。

そのまま退学してしまったのだ。

家で籠る生活は最初は気楽だった。
でも段々異様な孤独感を感じ苦しくて堪らなかった。
引きこもりから抜け出せない。
外が恐いな。
恐ろしい。
毎日絵を描いて、ボーカロイドの曲をコピーして踊ったり。
テレビを見たり。
一見すんごく楽しそうに見える。
でも苦しいは苦しい。

そんな中、両親の離婚が決まった。
前々から夫婦喧嘩の時に父親が包丁をお腹に当てて
だったら俺を殺してみろや!
なんていっていたからな。
母親もジブンノ首に包丁を当てて父親に止められていた事もあったし。
私は父親がだいっきらいだった。
だから極力関わらないようにしていた。
母親は私の双子の妹を産むときに精神や身体を壊して
ベッドの上から出られなかった。
母親が自宅から救急車で運ばれているのは未だ目に焼き付いている。
私はそれをじっと見ていた。
祖父母の家に預けられたり。
幼稚園から保育園に変わったり。
色んな事があった。

両親が離婚して嬉しい。
父親と離れられる。
それを節目に私たち女四人は引っ越しした。

新しい家での生活は新鮮だった。
そんな中、私は腕を切ってしまった。
滲んでくる血は。
流れ落ちる涙は。
美しかった。
アームカットは一度始めたらなかなか止められない。
苦しい。
孤独すぎる。
独りは限界。

私は心理カウンセラーのような所に通うようになった。
箱庭療法や絵を描く療法。
色々あった。

ある晩、私の中の何かが変わった。
カチッと音を立てると同時に母親にアームカットの事を打ち明けようと思った。
今から頑張ろう。
そんな気すら沸いてきた。

いざ母親に話し掛けようとすると苦しくて涙が溢れ出てくる。
止まらなかった。
何分かしてようやく落ち着いた頃に意を決して打ち明けた。

ここの会話は省きますが、母親は腕を見せると同時に泣き崩れた。
当たり前か。
大好きな我が子が自らの身体を傷つけているんだから。
それでも頑張って話終えた。
私も考えることなく涙が出ていた。

それから私は少しずつ外出するようになっていた。

そんな事があってもまた腕を切ってしまって母親を苦しめた事もある。
隠れて切ったこともある。
私は世界一の親不孝ものかもしれないな。


苦しくなると腕を切る。
一度覚えるとやめられないんだ。これが。


私は高校を転学する事にした。
新しい高校。
友達欲しい。

通う前は死ぬほど緊張した。
でも通っていくと段々と慣れてきた。
でも友達出来なかった。
はぁ。
やっぱりなのか。
なんでだろ。

そこは髪型服装化粧自由の学校だったので化粧はしていった。
楽だった。
でもやっぱり孤独すぎる。
友達欲しい。
どうしたらいいんだ。

なんて考えるうちにどんどんどん悪い方向に向かって言った。
学校は週に2回の通信制だ。
その他の日は引きこもる。
こんな感じが最初は続いた。
徐々に外には出掛けることが出来るようになったが
沸いてきた感情。

死にたい。

死にたくて堪らない。

消えたい。
死にたい。

本気で自殺しようと思った。
もう私には無理。
生きていても何も起こらない。
本気で限界。
あらゆる自殺方法をネットで調べたり計画したりした。
本当に死のうと思った。
ママ、ごめんなさい。
私はこれ以上生きることが難しいです。
この無限ループから抜け出せない。
助けて欲しい。
誰か。
私を抱き締めて。

首吊りを練習したりした。
ドアノブにネクタイを引っ掛けて結んで首を通す。
苦しかった。
頭がぎゅーっと締め付けられる感覚。

私は死ぬならば飛び降りで逝こうと思った。
世間の人々に私の存在が分かってもらえる、、、。


母親に向かってあなたが私を産んだからダメなんだよ。
とか
あなたと死ねばいいのに。
とか
死にたい。
とか
殺してくれればいいのに。
とか
死ぬほど酷いことを沢山言った。
ごめんなさい。
こんな娘で親孝行も出来なくて。

メールで酷すぎる長文を送りつけたりもした。
自分が止められない。
恐ろしい。
私は醜い。

そう思い込んでしまうようになり、
死ぬならば整形したいと思った。
でも金がかかる。

今はなんとか整形は止めた所だけれど、、。

苦しい。
孤独すぎる。

いつまでたってもこのままなのかな。
苦しいよ。
本当に。


クリスマスの日に犬を飼うことになった。
凄く可愛い豆柴犬。
可愛過ぎる。
私の唯一の友達。
大好き。

本当に私の所に来てくれて良かった。