帰国後ガウリはイスラム戦士の育成機関創設に尽力した。

しかし心は晴れなかった。カシミールは遠のくばかりだ。


国境の警備は強化されカルギルにはインド軍の前線司令部

が常設されて蟻のこ一匹は入れないほどになった。


ガウリは結婚もし二人の子供も設けたが、カシミールへの

望郷の念は日ごとにつのり育成訓練所での昼食後に必ず

屋上に上って東のカシミールの山脈を眺めて過ごした。


将軍は孤独であった。掌の石だけが彼の心を知っていた。

隊員たちは峻厳な将軍のこのような姿に神々しいまでの

畏敬の念を抱き始めた。


ガウリは連日数十名の戦士に戦闘訓練を施すとさらに

あのオマル教師を招いて徹底したイスラム原理主義を説

いていった。さらに13歳からの神学生を募り時間をかけて

イスラム戦士を育成していった。