おじいちゃんが退場したところで、私は彼の肩から離れた。ふらりふらりと漂って彼と対峙するように浮かぶ。
彼の背後の月は赤く濡れていた。人魚が星鳥を捕食しているらしい。よく見るとたしかに魚のようなシルエットが白い光を赤く汚している。先ほどまで群れをなしていたのに、残りは少ないようだ。それを見て自然と笑みがこぼれた。
そう……。お前らも、おいかけっこの時間なのね。

「始めようか。十秒数えるね」

かくれんぼではないから十秒数える間は彼を見ている。どこに行ったかすぐにわかるように。
彼はかすかに頷くと、大きく翼を動かした。そして、ものすごいスピードで月の方へ飛んでいく。

「前より速くなってるし、マイナス五秒でいいかな」

勝手な判断でルールを覆す。今はとてもとても不機嫌だから。

「五、四、三、二」

紅い猫の妖怪を思い浮かべる。これからなる姿だ。

「一」

身体が変化し、四肢を使って駆け出す。これが本当の姿なのだと、なんとなく思う。青い月がぐんぐん近づいてくる。彼は月の裏側に逃げたのだろう。人魚と星鳥はまだ混じり合っていた。空を蹴り、更に加速する。そのまま群れに突っ込み、迫り来る星鳥を噛みちぎる。
甘ったるい。
熟れすぎたさくらんぼと生クリームの味が口の中に溢れた。それを飲み込むと、こちらを向く人魚達の合間を走る。
人魚の鱗がチカチカと瞬き、まるで星の道を進むようだ。赤、青、白……。一緒くたに色が視界に飛び込んでは消えていく。
血濡れの人魚と少なくなった星鳥の集団をくぐり抜けた。陶器のようにつるりとした月に沿い迂回してゆく。この月はいつも満月だが大きさ自体で満ち欠けをする。巨大なビル程度しかないそれはすぐに裏側を見せた。
そこは闇が蠢く深海の世界。月が照らすのは片側の世界だけなのだ。子どもくらいの大きさのラピスラズリが至る所に浮かび、岩肌に生えた光る触角が辺りを照らす。ゆらゆらとたゆたう触角の光を頼りに岩をよけて進む

敏感な耳は彼の居場所を教えてくれた。縦横無尽に広がる深海を駆け、彼の元へ急ぐ。
もう少しで私の意識は泡沫となり浮上する。覚醒を予感しながらトップスピードのまま彼を視界に捉えた。黒い彼は深海に溶け込んで見える。触角に照らされさえしなければ、見分けることは不可能だろう。