ママが居なくなって3年。

1年間はママと会えなかった。
ケータイを買ってもらって、ちょくちょく会えるようになった。
1年目は、最悪だった。今まで無頓着だった私の成績表、通信簿を勝手に見るようになった。

まるで
「俺が育ててきたんだ。父親なんだ。」と言われているようで嫌だった。
『形は父親でも、私にとっては何でもないやつ、それ以上に世界で一番嫌いな相手』
恨み続けた。

塾にいけと言われれば行った。成績が下がれば
「なんのために塾に行かせてるんだ、いくらかかってると思ってるんだ。」怒鳴られても我慢した。

必ず「止めたいなら止めたいといえ。」って言われた。はじめの頃の私は『止めたい。』って言った、

しかし、「何で止めたいんだ?」と言われ『夜遅くまで辛いから』って言うと「あと少し行ってみろ。お前が行きたいって言ったんだろ。」と勝手な妄想で必ず締めくくった。

行けと言ったのは父親で、夜遅くなるのは
父親が酔って、絡んできて3時過ぎまで眠れないから。最悪の1年間だった。

ただ、一年目で私は感情が顔に表れなくなった。
父親ですら、「辛いなら言わないと。~は溜め込みすぎだ。何が嫌なんだ?言ってみろ?」と、言うようになった。
でも、遅すぎた。
『いつかまとめて言ってお前を壊すから。』
私の心はささやき続けていた。
周りの子がお洒落をしている中、私はただのモノクロの日常を、復讐のためだけに生きていた。