幼稚園の手続きも終わり、春川家での響子の生活が本格的に始まった。



春川の家はとても立派な造りだった。


二階建ての母屋は部屋数が全部で11もあった。


一階の居間は、ふすまを開けると三つの部屋がつながって大広間になる。


供養のために連日、親戚や近所の人たちが訪れていた。


その度に響子は大勢の人たちに慰められた。



娘が東京で事故死したことは皆が知っていた。


両親を亡くした幼い少女に誰もが心から同情した。


みんなの優しさに、響子の心の傷も少しずつ癒されていった。