数分して、家の前に着くと、女は家の門を見て何やら驚いた表情をした。
俺の家は普通の一軒家で、特に変わった所は無い。強いて特徴を出すのであれば赤い屋根があるということだけ。

何に驚いているのか俺にはわからなかった。

「なぁ、狩野。下の名前は?」

「…え?龍登だけど?」

他人にフルネームを教えるのはあまり良くなかったのかもしれない。しかし、流されやすくて押しの弱い俺は、つい質問に答えてしまった。

「漢字は…?」

「…漢字?何に使うつもり?」

「いいから」

いつの間にか、あの表情が、真剣なものにかわったような気がした。

まぁ、減るもんでもねーし、いっか。

「龍が登るって書いて龍登。あ、“りゅう“は難しい方のやつな」

自分で言うのは何だが、この名前は気に入っていたりする。“たつと“と言う名前はそこそこ珍しく、人とかぶる事があまり無い。

何種類もある言語の中でも、自分だけが使える言葉なんだ、なんて幼い気持ちがまだ残っているらしい。

「…ほう……龍が登るか…」

「な、なんだよ」

「いいや、なんか似合わないなと思ってな…」

この女、失礼な事を言っている事に気づいていないな。

確かに龍って感じも登るって感じも鏡を見たって俺からは全然連想できない。 仕方ないのだが自覚しているのでわざわざ言わないでほしかった。

「そうだ。私の名前を言っていなかったな」

女はそう言って、目線を家から俺にうつした。さりげなく髪を耳にかける仕草に不思議と俺は手をのばしたくなる。勿論変態扱いはされたくないので、本当にのばしたりはしていないが。

「…そうだな…。“レイ“とでも呼んでくれ」

「は?」

「だから、“レイ“だ。私はレイ」

いやいやいや…本名じゃないんすか?

「なんだその不満そうな顔は?」

「だって、俺は本名教えてやってんのになんで…っていててててててっっ!?ほっぺ!!ほっぺ!!引っ張んな!!」

何故か正しい意見を言おうとしたはずの俺は、レイとやらに力いっぱい頬をつねられた。レイは腕を真っ直ぐにのばして俺の頬をつかんでいる。

「痛ひ!痛ひはら離へっへ(痛いから離せって)!!!!」

レイの手首を掴み、無理矢理俺は離させた。

「なんなんだよ!」

レイは静かにこう言った。

「本名だろうと偽名だろうと名前は名前だ。そう呼んでくれればいい」

「…それはそうかもしんねーけどよ、なんで本名を教えてくれないんだ?」

まさか、犯罪者とか…なんて俺は考えすぎか。

「そりゃあ、初対面の人に本名を名乗るなんて危ないだろ?」

あ、案外普通の理由…。

「俺、初対面のやつに名乗ったんだけどな」

「そうだな。自分の発言にはきちんと責任を持てよ、龍登」

お前が聞いてきたんだろうが!!つーか元はと言えば枢木先輩が原因だし!!

「…はぁ、分かったよ。レイでいいんだな」

「おう。じゃ、お邪魔させてもらうとしますか」

レイは家の門を開けると、俺に手をさしのべてきた。

なんだ?手をのっけりゃいいのか?

さしのべられた手にどう対応したらいいのか分からず、俺はとりあえず右手をのっけてみた。

しかし、それは間違っていたらしく、レイはまた小さく笑い始める。

「…くくっ…鍵だよ鍵!夜中だしインターホンを押すわけにもいかないだろう?なんだ、私がそんな紳士的なやつだと思ったのか?」

は?鍵?レイには常識というものが無いのだろうか?

「あのな、普通今さっき会ったばっかのやつに家の鍵なんか渡すか?それに黙って手を出されても何すればいいか分かんないに決まってんだろ」

「そうか?兄はよく渡しているぞ?まぁいきなり知らない女だけが入ってきた時はかなり驚いたがな」

レイはさらっと言ったが、そこのところの常識が無いのはどうやらレイの兄の影響のようだ。

俺は何も言わずに灰色のリュックに付いてる小さなポケットから、家の鍵を取り出した。