ジャーナリズムの本題は、問題を解決することにあるのではなく、問題を明らかにすることにある。


彼女のもつ信条は、娘の窮地においてさえも、その傍観者的姿勢を崩すことはなかったのだ。


問題解決能力は、そのものの中にこそ潜んでいる。


確かにそれは真実かもしれなかった。

だが、解決の糸口を見つけられないまま絶たれる命もあるのだということ。

問題のありかが、自分の本質だと諦めざるをえなかった場合。

それを何かに置き換えることも、納得することもできず、自分を無に帰すことが最良の解決策だと結論づけた場合。

娘の全てを引き受けて、留め置く力が幸恵にはあった筈なのに。

その機会を自ら放棄したのは彼女自身だ。

先に逝った二人の愛する男達の背中は、もう何も語ってはくれない。

愛する娘は、父親の背中を追いかけて逝ってしまった。


ジャーナリズムの役割は、問題を明らかにし、世論の関心を集めることにある。

無関心からの脱却、それこそが問題解決の第一歩だ。


幸恵も少しだけ前に進んだ。

問題から目を逸らさなず寄り添う姿勢。


それが今の彼女の信条だ。