一号車 

「女性にビンタ二回って貴重な体験だと思うんです」
 赤くなった左頬をさすりながら花丸は真剣な眼差しを胡桃に向けた。既に、りょうもう号は北千住駅を発ち終着駅である赤城に向けて加速し始めた。
「貴重というより情けない」
 胡桃は断定した。
「男と女が触れるって貴重ですよ」
 花丸は尚も食い下がる。さらにに胡桃のパーソナルスペースに徐々に侵入し、距離感が非常に近い。
「少し、距離をとろうよ。密着って心許した人にしか認めてないし」
 しっ、しっ、と手のひらを小刻みに動かし胡桃は払いのけた。
「気が強いですね」と花丸は一拍間を置き、膝をこすり、胡桃を見た。「なぜ、そんな気高き女性の目元に涙の跡が?」
「えっ?」
 と胡桃。
 やれやれ、と花丸は両手を挙げた。「目元の化粧が崩れています。形あるものは崩れます。それは仕方のないことです。男は女性のスッピンを好むと世間では言われています」
「何がいいたいの?」
 胡桃は話しの長い男が嫌いだ。できる男というのは、簡潔明瞭で人の内部にすっと入り込んで来る。だけど、花丸に関していえば話しが長いのは彼の個性としても、先が読めない。その先は、で、その先は、と先の見えないトンネルの出口を探すような感覚に襲われる。
 花丸は指を鳴らした。「女性の化粧が崩れるには必ず訳があるということです」
「意味がわかないわ」