「よし、やっと着いたよ…」


 下を向いて歩いたという努の必死な苦労を嘲笑うかのように、


努は誰とも会わずにトイレまでたどり着いた。


屋上から努たち1年生が使用するトイレは遠い。


 なのに、全く誰にも会わなかった。


 まあ、誰にも不審がられることもないため、それはそれでいいことだと努は思った。


下を向いて歩く人がいれば、誰だって不審がるはずである。


 男子トイレに入ると、大きな鏡と銀色に鈍く光る手洗い場が努を迎え入れる。


 努は少しばかり眉をしかめた。


何かに気が付いたようだが、気のせいだと思ったようだ。


 大きな鏡に映る努の姿は別に笑われるようなひどさではなかった。


ただところどころ拭き残しがあるだけで、ちょっとやそっとでは気づかれない程度。


じっと見て初めて分かるくらいだ。


 努はずっと手に握っていたハンカチを広げ、水道の蛇口をひねった。


ハンカチについた汚れが、排水溝へと水とともに吸い込まれていく。


排水溝には髪の毛やらホコリやらがたまり、


いったいいつから掃除していないんだと疑いたくなるほど汚かった。


努はハンカチの端と端とをこすり合わせ、順番に汚れを落としていく。


流れる水は若干黄色く、臭いなどはしない。


 しかし。


努は入った時から臭いを感じていた。


 それはハンカチについた鳥の糞の臭いではない。


もっと、違う臭い。


臭くて鼻をつまみたくなるような悪臭。


 今になって努は、入った時に感じたあの臭いは気のせいでないと思った。


どんなに鼻づまりがひどい人でも感じる臭さ。


 男子トイレに入った時はそれほどでもなかったが、1分ここにいるだけで、


それは何十倍にもなった。


「く、臭い…」


 鏡に映る自分の歪んだ顔が見えた。


 水は出しっぱなしで、もったいないから止めようと努は手を伸ばした。


しかし、鼻につく子の臭いが頭の中をかき乱す。


「ぅぇ…ぉぉっ、ぁ…」


 立てなくなるほどではなかったが、明らかに異常だった。


この男子トイレの臭いと雰囲気。


 身の危険を感じた努は、ハンカチが含んだ水を急いで絞り、水を止め、その場から逃げた。


 男子トイレから出て数歩歩くと、


「…はぁ……何だったんだ…」


またいつもの空気が努を包み込んだ。