「負け、たの?」
「そうだよ。惨敗。はじめてあんなにこてんぱんにされたよ。大人げが無いというか、容赦ないというか」

司は笑った。

「あんな僕を辰巳さんは拾ってくれたんだ。頭悪くて、すぐに手が出る僕の世話をしてやる、って言ってくれたんだ。

辰巳さん親バカだから、ずっと弥刀ちゃんの自慢話聞かされてたよ。
弥刀ちゃんが高校上がると同時に、僕も編入できるよう手続きをしてくれたのも辰巳さん。

仕事も数回連れて行ってもらったこともある。これは弥刀ちゃんに内緒って言われてたけど。まぁいいか。

今生きているのも、全部辰巳さんのおかげなんだ。僕みたいな余所者を理解してくれた賀菜子さんにも感謝してるよ。

僕が今まで出会ってきた人間は、僕みたいな人間を軽蔑するような人達だった。軽蔑されても仕方がない事をしてきたけど、何もしていなくても疑われるような経験しかしてきてなかった。
学校も、孤児院も、警察もみんなそう。こんな狭い世界じゃ、僕の印象は全部同じなんだ。

だけど、辰巳さんは違った。職業が職業なだけに、こういった人間に慣れていることもあるけど、京極家の皆は僕をそんな目で見なかった。
真っ直ぐ、僕自身を見てくれたんだ。だから、僕もそれに応えて嘘はつきたくない。

僕は当主にならない。

辰巳さんの後を継ぐのは弥刀ちゃんだよ。僕じゃない。僕は、弥刀ちゃんに何もかも負ける。それはきっと、一生がんばっても追い越せないことなんだ。
それに、僕はそんな器量ないし。面倒というか、不可能。

今までお世話になった辰巳さん、賀菜子さん、弥刀ちゃん、甚三…他にもたくさん居るけど、僕はその誰よりも弱い。

レイジ達に会った時、弥刀ちゃんは僕を軽蔑した。僕はそれが気に入らなかった。結局弥刀ちゃんも、辰巳さんとは違う“普通な人間”なんだって思った。穏やかに育てば、結局こうなるんだ、って。

だけどそれは違った。実際、弥刀ちゃんはそんな怪我してるのに僕を守ってくれたし、僕に会いに来たのも、ただ素直に、当主をやめた理由が知りたかっただけでしょう?
弥刀ちゃんはやっぱり辰巳さんに似てるよ。その器量の多さ、本当すごいと思う。…後先考えず行動するのはどうかと思うけど。

これが、僕の本音。辰巳さんにもまだ言ってない」

言葉がますます出なくなった。

何を言えばいいのだろうか。言いたい事がありすぎて、どれを選べばいいのか分からない。
言葉の不甲斐無さを感じた気がする。

「…司はあたしより強い」
「強くないよ」
「だって」

言葉が詰まる。

事実だ。あたしは、司には勝てない。
それを今日、身をもって実感した。

「…違う、そういう強さの話じゃないよ」
「じゃあ、なに?」

顔を上げた。
司の顔は暗くてよく分からなかった。

「寝ようか」
「は?!」
「だって、眠いし。話したいことは話した。明日学校でしょ?」
「まだ終わってな…」

物凄い力で司の胸に押し付けられた。
息が苦しい。

「僕の考えは変わらないから」
「…」

司の甘い匂いでむせ返りそうになる。
だけど、時間相応に眠くなってきた。少ない脳味噌で考えすぎたのかもしれない。それと、甘い匂いがどうも睡眠を誘ってくる。

司は当主になる意思はない。理由は、よく分からない。
その気持ちが変わらない。

あたしにとって、好機じゃないか。跡継ぎ候補が居なくなってくれて、丁度いいじゃないか。


だけどなんで、こんな敗北感があるんだ。

まるで、まるで、まるで。
司を認めているような。
まさかそんな。あいつはあたしのライバルなのに。


そんなことをぐるぐる考えているうちに、あたしの瞼は閉じてしまった。