全ての出来事は半年前に遡り、半年前から悶々とした気持ちを抱えてリンは過ごしていた。誰にも相談せず、誰にも思いを明かさず、誰にも語らず。
 この世界が物語なのか、物語自体が世界なのか、これは運命なのか、運命すらも人生というシステムに組み込まれているのかはわからない。
 ただ、ひとつだけ言えることは、いつものように屋上にいたリンの傍を――正確にはサッカー選手がサイドラインを駆け抜けるように髪の毛に触れた。サッという音は爽快さを示し、リンは目を丸くする。髪にさすかに触れたものは、紙ヒコーキだった。一度、地べたに座ってしまうと腰を上げるのが億劫になるが、この時ばかりはスムーズに腰骨が起動し、どこかで遠隔操作されてるかのよに体が反応した。
 リンは紙ヒコーキを手にとった。それは、しっかりとした紙ヒコーキだった。作り手がいいのか、はたまた紙質がいいのかは定かではない。だが、これだけは言える。詰まっているのだ。何かが。手に取るとよくわかる。念のようなもの。思い、と言った方がいいかもしれない。偉そうな人間が語る軽い請いではない。なんで、偉そうな人間というのは話を要約したがるのだろう。
 いけない。
 ついつい、別の思考回路に移動してしまうのはリンの悪い癖だ。人の話を右回路から左回路と臨機応変に聞き分けているつもりであるが、結局は第三の思考回路に移動していることが多々ある。それは言い換えれば自己中心的だからだろう。どんなに海を渡った世界で哀しい出来事が起こっても、どんなに見知らぬ土地で悲惨な現象が起こっても、その時は同情するかもしれないけど、結局は、ああ、自分じゃなくてよかった。と思ってしまう。むしろ、それが人間が人間として持つ残酷性が表面化した時ではないかとも思ってしまう。考えすぎだろうか。考えすぎなのだろう。顔はSランクなんだけど、思考がFランクというのが男子諸君からの評価ということを彼女は、なんとなく知っている。さらには、同姓からは、Sランクの顔だけ欲しい、というやっかみとも嫉妬ともとれる発言を耳にしたことがあるリンも高校二年の始業式に、始業するにはベストなタイミングで紙ヒコーキが出迎えてくれた。手に持ちながら思う。問題の紙ヒコーキには五線譜らしきものが引かれていると思ったら、なんてことはない。一般的なルーズリーフだし、紙質も上質かと思えば、なんてことはない。一般的なルーズリーフ、だ。思い込みと哲学的思考がなせる勘違いとは悲しみを通り越して、愚かだ。リンは紙ヒコーキを手に持ち、天を仰いだ。空には毛糸でマフラーを編んでいる過程のような平べったい均一な白い雲が伸びていた。その白さのせいか、青い空が異様に際立っていた。
 で、リンは紙ヒコーキを飛ばし返そうと思い、折り目を指でつまんでみたが、ルーズリーフの線に汚れが見えた。正確には→だ。ここから開け、と言ってるかのように。むしろ、道先案内人のようだった。
 リンは首を傾げた。訝ったといってもいい。紙ヒコーキをゆっくりと広げていった。見てはいけないものを確認するかのように。それが楽しみでもあるのだが自然と爪に視線が移るのも必然といえた。母親の友達が自称ネイリストであり、「リン聞いて!お母さんの友達にネイリストがいるんだけど」と爪を見せられ、そこに描かれていたのは鎌を持った死神だった。背景も灰色であり、何がしたいかがイマイチ掴めなかった。そんなこともあり、リンもネイルをしてもらった。校則が厳しい『ペイン学園』ではもちろんネイルは禁止だが、と透明感と小型のビーズをワンポイントで付けてもらった。それだけでよかった。やらないよりは、やった方がいい。そして母親の友達であるネイリストはこう言った。「リンちゃんを表現してみたの」大きなお世話だ、と思ったが自然とリンは笑みがこぼれ、年齢不詳のネイリストも笑みを広げた。広げた笑みの前歯に赤い口紅が付着していた。それが何より印象的だった。
 気を取り直しリンは紙ヒコーキを広げた。そこには文字が羅列されていた。なかなかに綺麗な字面だ。性格がわかりやすい。几帳面で純粋。統一された文字にそれらが詰まっている。一行、また一行と読み進める内に、ある疑惑も涌き起る。そして、最後の名前を見て疑惑が驚きに変わり、確信を得た。
 そう、紙ヒコーキを開いた先に書かれていたのは、ラブレターだったのだ。それも、書いた本人は学年、いや学園内一の秀才で美形でクール、安東ツカサだった。