――卒業の、恋。




私には、好きな人がいる。




今日は高校の卒業式。
そして今は、そんな式の真っ最中だ。

そんな中、私はと言うと、屋上へ続く階段を上っていた。
こんなことは、過去に何度かあった。
でも、今回はいつもとまた違う。
認めたくはなかったのだ。
これで、しばらく会えなくなってしまうなんて、想像もできないから。
最後の、悪あがきというやつだろうか。

純が傍にいない日常なんて、私には、有り得ない。

がちゃっ、という音と共に屋上の扉が開いた。
ふわりとした風が顔にかかって、髪を乱す。
今日はよく晴れたいい天気。
認めたくはないけれど、絶好の卒業式日和だ。

背後で扉が閉まる音がして、大きく背伸びをする。

今日が終わると、私達はまたひとつ、成長するんだろうか。
きっと私は立ち止まったまま、いつまでも純に追い付けることはないんだ。

真っ青な空に注がれていた視線を下ろすと、柵の前に立つ見慣れた猫背が目に止まった。
もしかして・・・・純?


「おい、サボり魔」


片手を口の横に添えて声を張り上げる。
例のサボり魔はその声に反応したように振り向いて、ああお前か、と興味無さげに溢した。


「卒業式くらい、出なよ。」

「お前が言うな。」

「私は卒業生じゃないもん。」


純は、私よりひとつ年上の幼馴染みで、今日、高校を卒業する。
彼は卒業後、上京して大学に行くらしい。
そうやって、いっつも、私を置いてどこかに行ってしまうんだ。


「いいから、早く戻れよ。」


いつからか純は、そうやってすぐ私を突き放そうとするようになった。
そうして冷たくされる度に私は、大人しく食い下がってきた。

でも、今日の私はいつもより頑固みたいだ。


「嫌だ。」


純のよこに並ぶと、面倒臭そうな溜め息が聞こえた。
でも、どんなに純が嫌がったって、私には今日しか時間がないのだ。
この、限られた時間を、ほんの少しでも純と過ごしていたかった。
こんなにワガママな私は、初めてだった。
だからか純も戸惑っているように見えた。


「折角一人になれたのに、お前がいたら台無しじゃねーかよ、」


力なくその場に座り込んだ、いつもより頼りない横顔。
純はよく、今みたいな顔をする。
すぐ一人になりたがるくせに、どことなく寂しそうで、口では突き放そうとするのに、顔はそれを望んでいないような。
だから私も、放っておけないのだ。


「ほんとめんどくせーんだよ、お前。しつけーし。昔っから、俺の後ろ、ちょこちょこ着いてきやがって、なんなんだよ。」

「純がすぐ、一人になろうとするからじゃん。」

「うるせーな、一人が好きなんだよ。」

「ほんとは、寂しいくせに。」

「お前のそういうとこ、全部、大っ嫌いだ。」


純が項垂れるように頭を下げると、ひび割れた床に黒い影がかかった。
私はそれを、ぼんやり見下ろした。

「知ってるよ」と答えたら、純の影がちいさく揺れた。
そして、小さな水滴が、ぽつり、ひとつふたつと落ちて、床に滲んだのが見えた。

私のこと嫌いって、そんなこと知ってるけど、本当は寂しがりやなの分かるから、離れられないんだ。

しゃがんで、純のことをぎゅうっと精一杯抱き締める。
私のからだだけでは包む込めないほどに、思っていたよりずっと大きな体だ。
でも、私にはこうすることしかできない。
こうやって、もうすぐ終わる今日がいつまでも続くように、祈るみたいに抱き締めることしか。


「好きだよ、純。」


これを言ったら、私達が終わる言葉。
それを口にした私の心は案外、この空のように晴れやかだった。

純の口からは、途切れ途切れの呼吸音しか聞こえない。
けど、何かを言ってくれようとしているのは充分に伝わった。
それがまた、愛しくて、胸が苦しくなった。


「純が卒業する前に、伝えたかっただけだから。忘れていいよ。」

「・・・ふざけんなよ、」

「ふざけてないよ。」

「忘れろとか、ふざけんなっつってんだよ。」


いつもみたく文句をいうくせに、私の腕のなかにちんまりと大人しく収まっている様が、妙におかしい。
けど、その声は真剣そのもので、どきりと心臓が跳ねた。


「そんなこと言われたら・・・余計離れたくなくなんじゃねーかよ・・・」


聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声がした。気がした。
でもきっと気のせいだ。
だって、純は私のことが嫌いだって言った。

だから、私達がこうしていられるのも、今だけだ。

私は聞き返すこともしないで、ただ、この気持ちの行方を考えた。
どうしたらこの、長い長い片想いから脱け出せるのだろう。
彼があの顔をする限りはきっと、いつまでも考えてしまう。繋がるはずも、ないのに。


「・・・俺も好きだよ、」


チャイムが、高らかに鳴り響いた。






・・・・・・・・・