既に向けられていた背中に向かってそう言うと、耳のピアスを煌かせて彼がヒョイと振り返った。

「――――――――そうだ、俺さ」

 私はベンチに座ったままで、彼を見ていた。

「名前、右田龍治。酒処山神の、板前の龍だよ―――――――首になってなけりゃあね」

 え、何?

 私が首を傾げるのと彼が前を向いて歩いていくのが一緒のタイミングだった。私はそれ以上彼に声をかけることは叶わず、彼が消えてからもそのベンチで30分ほどぼーっと座って過ごし、ようやく腰を上げる。

「・・・帰らないと」

 ボソッと呟いて、ようやく病院の門へ向かった。

 ・・・もう夕方じゃない。お姉ちゃんが心配してるかも。外で仕事をしているわけではないし、私は携帯電話というものを持っていなかった。そんな余裕な資金はなかったし、必要もなかったからだ。

 だから私には連絡を取りにくい。姉が心配しているかも、その考えでようやく頭が働きだした。足を急がせる。

 ああ、今晩は私がご飯の当番だったのに。買い物もして帰らなきゃ――――――――――

 どんどん迫り来る真っ赤な夕焼け空に追い立てられるように、私は急いで家に帰ったのだった。



 彼との出会いは私に不思議な余韻を残して、その後しばらくの間毎日を漂っていた。