中学の時から人とは違うことにずっと悩み続けた。


うまくできない

何をやっても上手くできない



何をやっても他人より出来ない自分が確かにここにいる



悔しかった


負けたくなかった



でもいつしか自信なんてものもは無くなって


プライドも無くなって


なにもかも、どうでもいいやって思ったら

少しラクになった。



「競争心のない子」

「マイペースな子」

べつにそれでいいやって思えたら少し気がラクになった。


でもそう思えるまでが長かった

中学3年の二学期ぐらいじゃなかったかな。


それまでがものすごくとてもつらかった。


誰にもわかってもらえないこの窮屈さ、悔しさ。



悲しかった。

たくさん泣いたりもした。


思うようにいかない身体と思うようにいかない頭。


不器用で全然うまいくかない。



数学は全くできない。


記憶するのができないので

社会や理科などの覚える系もできない。


国語英語はそこそこできてたけど、やっぱり漢字や単語を覚えるのは苦手だった。


英語は文法合ってても誤字がかなり目立つ。


理科や社会や音楽など単純な計算が出てきたりもする。


でもそれすらも私には出来ないかった。



中学になってからは小学校の頃と違って

家庭科や技術のようなものは難しくてできなくなっていた。


家庭科好きだったのにな、、、。

ミシンとか使えないし、いつも作品は作り途中で終わってしまっていた。


どれをどこまでやったのかわからない。

何を次にしたらいいのかわからない。


複雑な作業で順序良く組み立てていかなくちゃ作れないものは

自分だけで作り上げたことない。だから評価はいつも2だった。

かろうじて1になんないだけは先生の優しさだろうか、、、?


技術の先生が優しかった、不器用な私のしかも欠席もしたりする私のことを色眼鏡で見ることなく落ちこぼれななんもできない私のことを見捨てずいてくれた。



中学は学年上がるごとに好きなのに出来ないってことが増えてきて、


英語も国語も音楽も出来なくなってきた。



私は中学2年か中学3年のときから

迷子になるようになった。



いつのことだかはっきり覚えてないけど、

中学から高校上がってからまで(病気がわかるまで)のあいだ

わたしは迷子になった。



一度や二度だけの話じゃない。。たくさんだ。

それも見慣れているはずの住み慣れた地元の街で。



たまに行くレストランへの行き方がわからない。

公園への行き方がわからない。

一定の道以外は家への帰り方がわからない。

自分のいる場所が知らない街に見える、どこなのかわからない。

怖くなって走り回ったりした。



このことはあまり誰にも話してない。

病気がわかってからも、ますます話せなくなった


ケータイ持ってなかったら、、私は一体どうしてたんだろう。


ケータイにGPSきのうや地図機能で自分の居場所とか行きたい場所わかるそんな便利な機能があったことにとても感謝している。

数年前の時代だったら絶対ににあり得なかったはず、、、


でもまさか自分の迷子のための機能として使うなんて思ってもみなかったけどね。


でもそれを頼ってた。とっても。



体力がなくてすぐに疲れる。

長距離は歩けなくて、すぐに座りたがる。

休みたがる。いつも学校から帰ると即寝てた。

怠け者なのかな、、、、。


たまに友達に誘われて遊ぶけど、カラオケとか行っても

数曲歌うとだんだん呼吸が苦しくて歌えなくなってくる。



迷子になったがの時のこと、

本当に怖くて、泣きたいほど

走っても周りの建物やお家とか景色見ても

ここがどこなのかがよくわからないになって、

向かいたい行き先へ行かれないが多くて、

私はどこまで馬鹿なんだろう。どうしょうもない人間だって落ち込むだった。



中学生にもなって、見慣れた街で迷子になったり自分ではの家にも帰り方わからなくなったり。

みじめだった。