私は歩きはじめも早く、発達としては特に遅れはなかった。

ただアレルギーやアトピーがひどく、全身に湿疹があったぐらい。


湿疹はかなりひどく、BCGも湿疹が引いた時を狙ってしか打てなかった。

医者に「打てません!」と拒絶されるほどの湿疹だったそうです。



ある病院に行けば、顔面の湿疹にイソジンを塗りたくられ包帯ぐるぐるに巻かれてしまったり、ある病院では両手を縛り行動を抑制して掻きむしるのをやめさせればいいと言う医者もいたり。


「顔面包帯」は目と鼻と口だけがハサミで切りぬかれいる状態。

その日、母は希を抱っこして電車に乗って帰った。きっと痛い目線もあったと思う。

でも、母はそんな視線にも負けずにいてくれた。

二つ離れた従兄弟と二つ離れた姉はそんな希の姿を見て「きゃーオバケ~!!」と言ってからかっていたらしい。

私は覚えていないけれど悲しかっただろうね。



母から最近聞いたことだけど

公園で私を遊ばせてると

「◯◯!移っちゃうからこっちに来なさい」

「あの子と遊ぶとかゆいかゆいになるのよ」
と子供に言ってたり

「移るから近寄らせないでくれます?」
と母に言ってきたり

私のアトピーが“移る”と言う親が居たらしい。


母はそれ以来公園に連れて行くことが怖くなり、人目を避けて

あまり人がいない時を狙って私を遊ばせてくれていたらしい。

私はその事実を19年間生きてきた中ずっと知らないでいた。


何才までの出来事か知らないけど、小さな小さな我が子を

そんな風に言われて母は悔しかっただろうし

悲しかっただろうなと思うと胸が痛い。

母はきっと私のアトピーのことで私に言えないほど、いろんな侮辱や誹謗中傷にあってきたと思う。

私の知らない中できっときっとたくさん母は涙を流し続けてたんだろう。

母は強しとよく言うけれど、いくら強い人でも冷たい視線や心ない言葉たちには傷つきます。

同じ人間なのにどうしてそんなふうに傷つけることが平気で言えるのだろう。