次の外来でT先生には、突然主治医に見放されなかば追い出された形だということと、T先生が言ってた資料が足りない分を全てついきゅうして持ってきたのでこれで全部の情報ある程度持ってきたはずです。私がしっかり看護師さんに検査項目言って確認させました。と言ったら
もう目が点になってた。主治医にもらえずにいる、薬はそのT先生が処方してくれた。そして、とりあえず主治医となってくれた。
入院病棟では主治医になるかはわからないとのことだった。
実際入院すると1から話をしだすとかなり面倒だ。
母も今までを話すだけで疲れきってた。
次の日教授回診ということで、回診の部屋に連れて行かれ待ってる間担当医(C)先生といろいろ話したりした。
でも担当医(C)先生は、「そんなにひどい主治医だったわりにはちゃんと今までの情報資料細かく渡してくれて優しい先生じゃない。」と言う。それね、ぜんぶ私が、日記に書いてたからだよ。私が言わなかったらMRIと血液検査しかくれなかったんだよ。と言ったら「嘘ぉ〜!?」と驚き半分ありえないと言ったあと笑ってくれた。
緊張してたけど担当医のC先生と出会えてこうして少しずつ打ち解けられてなんかよかった。
入院中は検査ばっかり、時期治療法も私には合わず、効果は見られなかった。むしろ悪化するのでやめることになった。
入院した当初はハンチントン舞踏病という病気を疑われてた。
私が不随意運動がかなりひどかったから。
薬が管理されて処方されてなかったのが原因でとにかく薬の副作用といち早く気づいたのが
入院中主治医になった波田野先生だった。
急いで飲んでる薬を全て停止した。
止めたら今度は体が棒みたいに固まってカチカチになると痛くて泣くし、今度は身動き1つ取れなくなる。飲み薬は少しずつ量を増やして私に合う量を探してくれて適切な量をにしてくれた。
入院中、代謝異常が疑われた。
ミトコンドリアに異常が見つかったのがきっかけ。。
でも遺伝子検査はミトコンドリア脳筋症のどれにも当てはまらなかった
家族性パーキンソン病ってのも遺伝子検査引っかかるないかった
でも私には何かしら代謝異常があるってのはこの検査入院で一つ新しく分かったこと。
脊髄小脳変性症じゃないとは言い切れないけど、複合型家族性痙性対麻痺以外の病気を併発してるのか?それとも、世界でもまだ病名がない病気なのかもしれないと。
C先生や看護師さんにはのんちゃんは通常のひとがエネルギーになるものがエネルギーに変換できない、それなのにエンジンはフル回転で走ってる、ガソリンがないまま走り続けてる車のようなもので
簡単にいうとエネルギーが作れない病気だと言われた。
絶望だった。
せっかく脊髄小脳変性症って病名がもらえたのに、
脊髄小脳変性症てだけでもかなり落ち込むのに。不安なのに。
代謝異常ってなんなの?
世界に一人もいない病気とか。笑えないよ。せっかくブログ通してできた脊髄小脳変性症の友達たちになんて話せばいいんだよ。。。
『これ以上病気なんて、いらないよ。私の何が悪かったの?ねぇ、私がどう頑張ったら病気は治るの?』
波田野先生は言う
「のんちゃんは悪くない。もちろんお母さんもお姉ちゃんもお父さんも悪くない。誰も悪くないんだ。誰のせいでもないんだよ。のんちゃん、今は治療法が見つからないけど僕も頑張るから。できる限りをつくして、治療法が見つかるように、病気が見つかるように頑張るから。一緒に頑張ろう。」
「僕はのんちゃんの足にはなれない。歩けないとのんちゃんが嘆いているだけなら僕にできることは何もない。のんちゃんが、頑張ろうという気持ちがあるのなら僕は全力で応援するし僕だけじゃなくみんなでサポートしていきたいと思っている。のんちゃんが歩こうとするのなら、僕はのんちゃんを支えるその杖にはなれる。支えてあげたいって、僕はもちろん、お母さんだって、ヘルパーさんや看護師さんたちもみんなおもってるんだよ。一人で頑張らなくていいんだよ。のんちゃんはもう十分頑張ってきてる、今だって頑張ってる。たくさんたくさん頑張ったね」
涙が止まらなかった。私は今まで何をしてきたんだろうって。
一人きりで、孤独と不安と戦い続けてもう自分を責めないと、あの日思ったのにバカみたいだね。
声が枯れるほど泣いた。
今まで我慢していた色々なもの切れてしまった。
看護師さんに「こんな小さな体の中に小さな胸の中にたくさん、抱え込んで一人で背負ってきたんだね。まだ17歳なんだよ。たくさんしたいこともあったんだよね。家族に期待されて、ノンちゃんが家族みんなをつないで守ってあげてたんだよね。泣いてもいいんだよ。いろんなことつらかったよね。」
看護師さんは日勤でもうとっくに帰る時間だ、、消灯すぎてるのにいつまでも泣いてる私のそばで抱きしめてくれた。
もう目が点になってた。主治医にもらえずにいる、薬はそのT先生が処方してくれた。そして、とりあえず主治医となってくれた。
入院病棟では主治医になるかはわからないとのことだった。
実際入院すると1から話をしだすとかなり面倒だ。
母も今までを話すだけで疲れきってた。
次の日教授回診ということで、回診の部屋に連れて行かれ待ってる間担当医(C)先生といろいろ話したりした。
でも担当医(C)先生は、「そんなにひどい主治医だったわりにはちゃんと今までの情報資料細かく渡してくれて優しい先生じゃない。」と言う。それね、ぜんぶ私が、日記に書いてたからだよ。私が言わなかったらMRIと血液検査しかくれなかったんだよ。と言ったら「嘘ぉ〜!?」と驚き半分ありえないと言ったあと笑ってくれた。
緊張してたけど担当医のC先生と出会えてこうして少しずつ打ち解けられてなんかよかった。
入院中は検査ばっかり、時期治療法も私には合わず、効果は見られなかった。むしろ悪化するのでやめることになった。
入院した当初はハンチントン舞踏病という病気を疑われてた。
私が不随意運動がかなりひどかったから。
薬が管理されて処方されてなかったのが原因でとにかく薬の副作用といち早く気づいたのが
入院中主治医になった波田野先生だった。
急いで飲んでる薬を全て停止した。
止めたら今度は体が棒みたいに固まってカチカチになると痛くて泣くし、今度は身動き1つ取れなくなる。飲み薬は少しずつ量を増やして私に合う量を探してくれて適切な量をにしてくれた。
入院中、代謝異常が疑われた。
ミトコンドリアに異常が見つかったのがきっかけ。。
でも遺伝子検査はミトコンドリア脳筋症のどれにも当てはまらなかった
家族性パーキンソン病ってのも遺伝子検査引っかかるないかった
でも私には何かしら代謝異常があるってのはこの検査入院で一つ新しく分かったこと。
脊髄小脳変性症じゃないとは言い切れないけど、複合型家族性痙性対麻痺以外の病気を併発してるのか?それとも、世界でもまだ病名がない病気なのかもしれないと。
C先生や看護師さんにはのんちゃんは通常のひとがエネルギーになるものがエネルギーに変換できない、それなのにエンジンはフル回転で走ってる、ガソリンがないまま走り続けてる車のようなもので
簡単にいうとエネルギーが作れない病気だと言われた。
絶望だった。
せっかく脊髄小脳変性症って病名がもらえたのに、
脊髄小脳変性症てだけでもかなり落ち込むのに。不安なのに。
代謝異常ってなんなの?
世界に一人もいない病気とか。笑えないよ。せっかくブログ通してできた脊髄小脳変性症の友達たちになんて話せばいいんだよ。。。
『これ以上病気なんて、いらないよ。私の何が悪かったの?ねぇ、私がどう頑張ったら病気は治るの?』
波田野先生は言う
「のんちゃんは悪くない。もちろんお母さんもお姉ちゃんもお父さんも悪くない。誰も悪くないんだ。誰のせいでもないんだよ。のんちゃん、今は治療法が見つからないけど僕も頑張るから。できる限りをつくして、治療法が見つかるように、病気が見つかるように頑張るから。一緒に頑張ろう。」
「僕はのんちゃんの足にはなれない。歩けないとのんちゃんが嘆いているだけなら僕にできることは何もない。のんちゃんが、頑張ろうという気持ちがあるのなら僕は全力で応援するし僕だけじゃなくみんなでサポートしていきたいと思っている。のんちゃんが歩こうとするのなら、僕はのんちゃんを支えるその杖にはなれる。支えてあげたいって、僕はもちろん、お母さんだって、ヘルパーさんや看護師さんたちもみんなおもってるんだよ。一人で頑張らなくていいんだよ。のんちゃんはもう十分頑張ってきてる、今だって頑張ってる。たくさんたくさん頑張ったね」
涙が止まらなかった。私は今まで何をしてきたんだろうって。
一人きりで、孤独と不安と戦い続けてもう自分を責めないと、あの日思ったのにバカみたいだね。
声が枯れるほど泣いた。
今まで我慢していた色々なもの切れてしまった。
看護師さんに「こんな小さな体の中に小さな胸の中にたくさん、抱え込んで一人で背負ってきたんだね。まだ17歳なんだよ。たくさんしたいこともあったんだよね。家族に期待されて、ノンちゃんが家族みんなをつないで守ってあげてたんだよね。泣いてもいいんだよ。いろんなことつらかったよね。」
看護師さんは日勤でもうとっくに帰る時間だ、、消灯すぎてるのにいつまでも泣いてる私のそばで抱きしめてくれた。

