もう一度、歩きたい〜claireの切実な願い〜

あとから知った。
母は病棟の主治医から「娘さんはこの年の夏を越えられるかどうかわからない」と言われていた。

まだ 1 6歳 なのに 。

17歳を迎えることすら危うい状況にいるということ。それだけ見たことない症例で、進行があまりに速く、医学的視点でも今後の見通しがつかないと。

気管切開は、近いうちに必要になることも言われていた。

お母さんはたった一人でそんな医師からの淡々とした説明を受け、ショックで動揺を隠せず、それが私へどう接したらいいかわからなくなってたみたい。

医者からの宣告受けたことが、娘に伝わらないように、母も必死だったんだね。
一人でここまで介護し続けたあげく、そんな絶望的なことを言われ…


私はそんなことを知る由も無いから、まずいだとか食べたく無い、ワガママばっかり言ってたね。ごめんね、ママ。

気管切開はするかしないか、お母さん一人に決めさせようとした医師に私は今でも憤り感じるよ


ねぇ、お母さん。

わたしは自分の人生、自分で決められるよ。

認知症だとか高次脳機能障害だとか、精神遅滞とか、いろんなこと言われても

自分の生き方だけは自分で決められるよ。


自分で決めたいよ。

お母さんが決めたらお母さんはどっちを選んでも自分を責めるでしょ?


ソーシャルワーカーさんが色々手配してくれ、
家に帰る準備も整い始まった。

そう、今寝てるようなこんな便利な電動のベッドがお家にくる。
ポータブルトイレというものもくる。

そして訪問看護というお家に看護師さんが来てくれるようになる。

ヘルパーさんも来てくれるようになる。


少しずつ孤独だったお母さんに手を差し伸べてくれる人たちがたくさん増えてきた。


最初はもちろん他人を家に入れ替わり立ち替わり、入らせるなんてなんだか気持ち的にも余裕はなかったし、変な感じだった。それはお母さんもそう感じてたはずだし、お姉ちゃんもそう感じていたはず

でもなによりも、

この夏乗り越えられるかはわからない と医者の口から言われたこと


私がいつ意識不明のままになるのかもわからないこと。


母はそんなことをよく一人で耐えたね