まず呼吸の検査をした。苦しかった。
嚥下障害の検査をした
VF検査といって、X線レントゲン室で造影剤を混ぜた食品や飲み物を飲んで、X線越しの映像で飲み込みの状態を確認にする検査。
嚥下の状態この頃は気管に入ること誤嚥とかはないけど、喉の筋力低下と舌がうまく使ええずうまく舌で送り込みが出来ないため、
喉のおくでつっかかえってケホッてなります。
食事の回数や形態はは何度も変わり、どろっどろのわけわからない。これ食べ物じゃないでしょ?っていうようなグロテスクなものが毎食出されます。
食べるしかないのです。
自分で食べるとむせる可能性が高いので効率よく食べるためにも、食事介助してもらいながら食べるようになりました。
でも本当に食べ物と言えないくらい美味しくないし、見た目ははっきり言ってゲロに近いです。(…正直な感想なので、批判承知です。
屈辱でした。昨日まで形あった食べ物、同じものだと言われてもどろっどろの何が何だかわからない正体不明な物を口に入れられる恐怖。
私は基本的に何かわからないものは口にしないで生きてきました。小さなときのアレルギーも原因かと思うけど、自分でわからない物は食べてはいけないと勝手にカラダが覚えてるんですよ。
友達からもらう手作りのお菓子なども一切食べません。何が原材料かわからないし、どういう衛生管理下で作られたかわからないので。
街中の試食販売とかも同類です。母が食べては良いと言ったもの以外は基本的にわけのわからないものには手を出しません。自己判断できる原材料が記入されてる市販のお菓子しか食べません。
だから好意でいただいたものでさえためらうのが、小さい頃からあります。それに付け加え、いじめで受けた精神的な制圧により強迫性障害のようなものもあるので、中学以降からは余計に食べ物へ執着しなくなった。むしろ避けるようになった。
私が入院後、水分さえ口にしなくなったせいで便秘がひどくなり、下剤づくめと座薬&浣腸の毎日。いろんなことされてつらかった。
体調不良や低血圧で意識が遠のくことも多々あり、この頃から全身けいれん発作が出るようになってきた。
毎日泣いてた。研修医だった担当医Anri先生と仲良くなって、毎日忙しい中必ず会いに来てくれた。それだけが私のこのどん底な入院先での生きる喜びになってた。
リハビリで知り合った隣の病室の若いお姉さんと仲良くなった。後藤ちゃんと呼んでいた。後藤ちゃんは本当に突然倒れて一時期は一切体どこも動けない状態だったと聞くから、こうして車椅子に乗れてる後藤ちゃんはすごいと思った。
私の唯一入院生活で辛さも分かり合える親友になった。担当医が一緒ということもあって、ANRI先生は優しいし面白いよねーって先生の話題で盛り上がることも。
でもやっぱりうちらは難病患者。具合の悪い日もお互い続く。こっちの母が向こうのお見舞いに行ったり、後藤ちゃんのお母さんがこっちのお見舞いに来たり。
お母さん同士も仲良くなった。
同室になるお年寄りはすごく私の事をあわれむ人もいるけど、頑張ってね!と励ましの言葉をくれたりもする。
個室のお年寄りの介護してる方がプレゼントをくれたりもした。
のんちゃんの笑顔を見てると頑張れるのよ。と声をかけてくれる。嬉しかった。
けいれん発作があるたび呼吸はしづらくなるし全身硬直があった。
セルシンを使いまくるので、しまいには寝てることばっかになってしまった。
病棟での呼び名が
お嬢・姫から、眠り姫に変わった。
本当に目を覚まさずに一日中過ごす日もあった。
母はよく泣いていた。来ない日も多かったりした。
会えばなぜか喧嘩になることも増えた。理由もなく泣いてる母に理由を尋ねただけでブチ切れられて帰られたこともある。わけわからない。
嚥下障害の検査をした
VF検査といって、X線レントゲン室で造影剤を混ぜた食品や飲み物を飲んで、X線越しの映像で飲み込みの状態を確認にする検査。
嚥下の状態この頃は気管に入ること誤嚥とかはないけど、喉の筋力低下と舌がうまく使ええずうまく舌で送り込みが出来ないため、
喉のおくでつっかかえってケホッてなります。
食事の回数や形態はは何度も変わり、どろっどろのわけわからない。これ食べ物じゃないでしょ?っていうようなグロテスクなものが毎食出されます。
食べるしかないのです。
自分で食べるとむせる可能性が高いので効率よく食べるためにも、食事介助してもらいながら食べるようになりました。
でも本当に食べ物と言えないくらい美味しくないし、見た目ははっきり言ってゲロに近いです。(…正直な感想なので、批判承知です。
屈辱でした。昨日まで形あった食べ物、同じものだと言われてもどろっどろの何が何だかわからない正体不明な物を口に入れられる恐怖。
私は基本的に何かわからないものは口にしないで生きてきました。小さなときのアレルギーも原因かと思うけど、自分でわからない物は食べてはいけないと勝手にカラダが覚えてるんですよ。
友達からもらう手作りのお菓子なども一切食べません。何が原材料かわからないし、どういう衛生管理下で作られたかわからないので。
街中の試食販売とかも同類です。母が食べては良いと言ったもの以外は基本的にわけのわからないものには手を出しません。自己判断できる原材料が記入されてる市販のお菓子しか食べません。
だから好意でいただいたものでさえためらうのが、小さい頃からあります。それに付け加え、いじめで受けた精神的な制圧により強迫性障害のようなものもあるので、中学以降からは余計に食べ物へ執着しなくなった。むしろ避けるようになった。
私が入院後、水分さえ口にしなくなったせいで便秘がひどくなり、下剤づくめと座薬&浣腸の毎日。いろんなことされてつらかった。
体調不良や低血圧で意識が遠のくことも多々あり、この頃から全身けいれん発作が出るようになってきた。
毎日泣いてた。研修医だった担当医Anri先生と仲良くなって、毎日忙しい中必ず会いに来てくれた。それだけが私のこのどん底な入院先での生きる喜びになってた。
リハビリで知り合った隣の病室の若いお姉さんと仲良くなった。後藤ちゃんと呼んでいた。後藤ちゃんは本当に突然倒れて一時期は一切体どこも動けない状態だったと聞くから、こうして車椅子に乗れてる後藤ちゃんはすごいと思った。
私の唯一入院生活で辛さも分かり合える親友になった。担当医が一緒ということもあって、ANRI先生は優しいし面白いよねーって先生の話題で盛り上がることも。
でもやっぱりうちらは難病患者。具合の悪い日もお互い続く。こっちの母が向こうのお見舞いに行ったり、後藤ちゃんのお母さんがこっちのお見舞いに来たり。
お母さん同士も仲良くなった。
同室になるお年寄りはすごく私の事をあわれむ人もいるけど、頑張ってね!と励ましの言葉をくれたりもする。
個室のお年寄りの介護してる方がプレゼントをくれたりもした。
のんちゃんの笑顔を見てると頑張れるのよ。と声をかけてくれる。嬉しかった。
けいれん発作があるたび呼吸はしづらくなるし全身硬直があった。
セルシンを使いまくるので、しまいには寝てることばっかになってしまった。
病棟での呼び名が
お嬢・姫から、眠り姫に変わった。
本当に目を覚まさずに一日中過ごす日もあった。
母はよく泣いていた。来ない日も多かったりした。
会えばなぜか喧嘩になることも増えた。理由もなく泣いてる母に理由を尋ねただけでブチ切れられて帰られたこともある。わけわからない。

