そんなこんなで、私は嚥下障害の検査のために入院することになった。

この頃の私はというと、すでに自分一人で座位を取るのが難しいくなってきて、バランスが取れないまま後ろにひっくり返ってよくタンスや奏汰のケージに頭を身体をぶつけてた。

食事も自分で食べるのが精一杯になってきてて、スプーンやフォークがうまく使えず、手づかみで食べてたりもした。


私の食事のあとはテーブルの上はめちゃくちゃだ。お母さん買ってくれたエプロンがあるからそれ付けて食事しないと洋服もべっちょりなる。


なんかだんだん、赤ちゃんへと戻ってるみたい。

こんな私にお母さんは怒らず自分一人でやろうとしてること黙って見守っててくれた。

入院。あれ? 半年も経ってないのになんか不思議な感じ。


病室の人達の視線が痛い。怖いくらい突き刺さる言葉の数々。

「今日入ってきた方!若いのに〜。かわいそうね」

内緒話をしてるつもりなんだろうけど、つつ抜けですよ。


ろくにちゃんと食事できなくなってきて体力もすっかり落ちきってる私の元に看護師さんがくる、
前より出来なくなったこととかサポート必要なことを事細かくお母さんに聞く。

パジャマに着替えてベッドに寝っ転がる。なんで落ち着くんだろう。

何このベッド。便利すぎる!!と、なんか以前入院した時には感じなかったことをいっぱい感じた。

入院してて落ち着くとか快適とか言うようなのも変だけど、家が、床からの移動が不便すぎたせいで全て病院だと不便だった部分はラクになっった。


入院する前にブログで知り合った同じ病気の友達と連絡をとりあって会う約束をしていた。でも、友達は私より先に入院してしまい、そのあと施設に入所してしまった。同じ大学病院だったけど、私も後を追う形で入院になった。

ゆうたんと呼んでいた、ユウタくん。彼は脳性麻痺と合併して脊髄小脳変性症の痙性対麻痺複合型を発症していた。
でも数日後、肺炎で生死をさまよってるとユウタくんの母親から連絡が来た。
私の名前を呼びかけると、脳波が少し反応示してくれると言う。「希ちゃんと友達になれたこと、ゆうたはとっても嬉しそうにいつも話してたんです。よく笑うようにもなって、会うのも楽しみにしてました。今も、きっと戦いながらあなたのこと思ってるんだと思います。本当にありがとう」とゆうたんのママは言った。

熱が下がらないまま、意識も戻らないまま、ゆうたんは死んだ。

私に会いたくて楽しみにしてくれてたのに、ゆうたん待っててくれなかったんだね。
先に一人でお空へ行くなんてずるいよ。天国へ旅立つなんてずるいよ。まだ会ってないのに。

入院中、にそれをしった私は声を殺して泣いた。

お通夜行かれなかったけど、よかったらゆうたへ手紙書いてくれませんか?メールプリントして棺に入れてあげたい
とゆうたんのママが言った。
ゆうたんへ、最後のメールをした。天国で読んでくれたかな?

23歳で亡くなった。
私が難病になってから初めてできた同じ難病の友達。

涙をこらえて震える手で一文字一文字打ち込んだ。

さよなら、ゆうたん。