自分が歩けないという状況すら受け止める暇もなく、高校生活はまたも続いていく。誰も知らない人たちのいる場所へ。

前を向かなきゃ。必死で自分に言い聞かせる。

車椅子の自分、、、。区役所の貸し出されてる車椅子だから、本当はこんなに長期利用出来ないはずなんだけど、仕方ない。

一旦返してまた借りるってのをお母さんしてくれるのはいいけど、せっかく慣れた車椅子が変わるとかなり座り心地だとかも違って変な感じ。

早く自分の車椅子ほしいな。


支援学校の廊下にいっぱい並んである車椅子を見てはそう思っていた。


本当にここにわたしの居場所できるのかな。

「都立の○○高校からきました。のぐちのぞみです。よろしくお願いします」
転校生になったことないから自己紹介なんてまともにできない。

同級生と呼ばれる学年の子達みんな私のこと不思議そうに見てるし、不安になる。

すごく場違い感がある。疎外感?。


しばらくずっと忍の制服を着て通ってた。制服着てると少し、離れたみんなが一緒にいるような、ひとりぼっちの私にもまだ前の高校という居場所があるようなそんな錯覚に陥る。

でもそれはいまこの場所にいるみんな、支援学校のみんなとの距離をどんどん離れさせてる気もした。

だんだん着替えさせが面倒だったり移動させるのにスカートがめくれるなど
大人たちの都合で、私の通学の時の服はジャージにすりかわっていった。

ジャージになった私に少しずつみんなは打ち解けてくれるのに、私はちっとも、みんなの輪に入れてる気がしなかった。

言うならここの生徒としてこの場所に通ってるという感覚が全くないのだ。

ボランティアで来てるような、奉仕の授業のために研修しに来てるかのような、そんな感じ。

当事者側という実感がしない。


でもそんなのもいつの間にか、数週間のうちに食べるのが難しいくなってきたり、喋るのが難しいくなってくる。そんな私の病状の変化につれて、
みんなとの距離も近く感じるようになった。

どう接したらいいのだろう?というような目線から、普通に当たり前のように話しかけられるようになった。
すごく大きな変化だった。

それは同時に、この子達は声を上げないけど、この学校で嫌な思いつらい思いすることも多いのではないのか?
学校に限らず、外でも家でも、家族とも、、、?

いろんな疑問が次々と浮かび上がるようになったのは彼ら彼女たちを自分に置きかえて考えられるようになったから。

そしてカルチャーショック並みに衝撃受ける出来事もたくさんある。
「今まで」の小学校、中学校、高校でのこととどうしても比べてしまう、
生徒と先生という関係がこの学校で存在してるようで存在してない。都合のいい時だけ先生は先生という職権を振りかざして生徒を叱りつけてる。そういうようにしか見えない。
かと思えば友達感覚に踏み込みすぎる関係になってたり、私にとって「今まで」を考えたらありえない。

先生はもちろん、生徒同士でもスクールカーストのような、順位付けのような関係が無言で暗黙の了解的になっていたから。
もっと言うなら先生が生徒以下というような立場のクラスや学年も見てきた。先生を絶対的としておきながら裏で操る子がいたり?
複雑な学校事情。

支援学校には生徒間はスクールカーストは存在しないしイジメも存在しない。先生と生徒間ですら平らな関係?

それが違和感すぎて、距離感をつかめない。

今まで学校というものは、教室を一歩出ただけ入っただけで変わる世界だと思ってたから
この見えない距離感をつかめないことが不安になる。

友達に対しても、先生に対しても、学校という場所である限り、距離感があったほうが私にとってラクだったのもある。


だんだん学校へ行くのも嫌になってくる。スクールバスはうるさいし。
なんでこんなに時間かけてバスに揺られてなきゃいけないのかもわからないし、学校へ着いても、授業も前の高校と全く違う。

受けてる授業内容は
普通の高校と変わらない授業課程というけど、私からしたら、こんなの中学でもうとっくに終わったような気がするんだけど。みたいな。(笑)

別にバカにしてるわけでもない。

本当に、本当に、前の高校とのギャップが大きすぎてそれを受け止めきれないだけだったんだと思います。


予習しとかないといきなり当てられて、答えなきゃならないとか、先生は黒板ぎっしり書き詰めてはすぐに消すから急いで書いても書いても書いてもノートが追いつかないかったりね。

そんな学校に居たから、こっちの学校がスローペースに感じるのは当たり前のことかもしれない。