もう一度、歩きたい〜claireの切実な願い〜

終業式には沢山の先生たちが、私のもとへ集まってきてくれた。

体育の先生、みどりかわせんせい。生物の先生、数学の先生、国語の先生、英語の先生、世界史の先生。

数学のせんせい、私がテスト出来なくてのときもさいごまずっと付き添って教えてくれてた。

私から居残りして放課後や昼休みの時間、「先生、時間作ってくれますか?」そうやって言えたのは先生が一生懸命、親身に教えてくれてたから。先生の教えてくれるをいつもテスト受けても点数取れない、教えてくれるをを何度も無駄にしてごめんなさい。
それでも先生は私のこと見下したり、あきれたり、もう帰れよとか追い出したりしないでくれた。先生だって忙しいのに、先生だって仕事さっさと片付けて帰りたいだろうに私の勉強に長い時間付き合ってくれてた。
次のテストこそは、点数取れるよ!って何度だって信じてくれてた。励ましてくれた。

私の出来ないが、忘れるを何度だって教えてくれてた。
問題やるたびに変わる答えも、先生は真剣に向き合ってくれた。ふざけてんの?って怒られることなんて一度もなかった。

この高校選んだの間違えたのかなって相当落ち込む日も、先生と勉強するだけで、ここまでやってくれる都立の先生って他にいないと思う。やっぱり、ここに来て良かったんだ、思うようになった。

毎日増えていく先生がいらないプリント使って教えてくれた問題や公式とか。お母さんが何のプリント?といつも聞くから
「これね、いらないプリントの紙の裏側使って先生が教えてくれるの。私のために先生時間さいてまで教えてくれるの。優しいでしょう?」
と言うとお母さんは、真面目だねとかそんなに真面目になりすぎなくていいのにって言ってくれてたけど、わたしは、数学出来なくても先生の期待に応えたかったし、先生も信じてくれてたんだ。

最後に先生に今まで本当にありがとうございました。を伝えた時。
お母さんに「こちらこそ。あ!どうも、数学の担当してますー」みたいに自己紹介してて。
お母さんは、この人がいつも希が言ってた先生ね。って気づいたのかな。何度もお辞儀してお礼を言ってた。

校長先生もわたしに挨拶しにきてくれた。

私は、一生懸命まっすぐな気持ち伝えた。
「校長先生。今までありがとうございました。あの、先生。私は忍に来て本当に良かったです。ここに来て本当に良かったです。私はみんなのことが、大好きです。先生たちもみんな優しくしてくれて。私は忍岡が、大好きです。わたし絶対、ここに受験しに来た日のこと忘れません。忍岡が大好きです。」

それを聞いた校長先生は涙を流して両手を握りしめて

「ありがとう。こちらこそ本当にありがとうね。そう言ってもらえて私も、先生たちも嬉しいわ!ね?先生」って周りにいた先生たちに語りかける校長先生。
もらい泣きなのかわからないけど涙流してうなずくだけの先生もいれば、「もちろん!あのね、あなたはずっとここの生徒だから。またいつでも遊びに来てちょうだいね」などとまた顔見せに私が来ること願ってくれる先生が居たり。

校長先生とまともにこんなに話したの初めてなのに、私は、転校する人間なのに、ここを離れるべき人間なのに
《 この学校が大好きです。みんなのことが大好きです。》
と宣言してまるで、行きたくないと最後の最後まで言ってしまったような気がしたけど、私が忍岡を愛してることは変わりない。

お母さんはもう涙ポロポロしながら、色んな先生と話したりしてくれてた、


教室に戻ったらみんなが騒がしかった。異動する先生とかのことみんな初めて知ったからその話題で持ちきり。
特にD組の担任のみねぎしせんせいが違う学校行っちゃうなんてみんなは思ってなかったみたいで。泣いてる子も居たかな?
私が前に来た時も思ったけど、私の席(座布団が置いてあるからすぐわかる)、みんなが変わり代わりに当たり前のように座ってることが嬉しかった。
私が通ってた時も、勝手に座ってる時多かったから(笑)座布団二個持ってるし別にいい思ってたし変わりにその子の席とか全然違う子の席とか借りて座ってたなぁとか、を思い出す。

もう私はこの席につくことは無い。


そのうちみねぎし先生が来て、みんなが自分の席についてた

みねぎしせんせいは、なんだか複雑な心境でいるようだった。ずっと望んでた異動(柔道だか剣道のある高校を望んでたみたいで)であると同時にみんなと一緒に過ごした時間が短かったことと、忍へ在籍してたねんすうがとても長くて、忍岡を離れることが名残惜しいと。
それからせんせいは難しいはなしをしてた。どうやら私のように障害を持っても出来ることはあるって言いたかったように私は受け取った。
でも先生、その話抽象的すぎて全然わかんないよ、みんなもポカーンってなってた。

先生、病気のことみんなにはやっぱり話してないんだ、ってそれで気付いた。