そんな小さかった頃のビデオを漁り始める姉は毎日小さかった頃の私や、姉の映像を見ては笑ってる。(笑)

なんかこの小さな頃の私ってまっすぐに楽しそうなのにどこか寂しそうにしてたりお母さんにベッタリだな。って感じに見てた。

お医者さん言うとおり小さな時はそんなに目立った感じはないのかなって思うけど、こうやってビデオ見返すとあれ?って思うところも少しだけどある。

お母さんとお姉ちゃんが笑ってビデオ見てるあいだ、私は美丘というドラマをPCで見ました。

病気がわかる前から美丘を見るたびドキッてしてたのです。


美丘の症状が私に似てたから。特に迷子になるあたりは、自分と重ね合わせてしまうぐらい。

美丘ちゃんとっても私と症状似てる。ってすごく思って。


そんなふうにPC見てると地震が、、、揺れ始めた。

来空「お母さん、地震!!」

私はすぐに気づいた。でも母も姉も「えっ?なに?」って言ってるうちに
地震速報が鳴り響き、激しく家が揺れた。


姉はビデオを止めて、テレビのチャンネル変えてくれた。

さっきからずっとPCデスクの前に座ってる私は、逃げたくても歩けない立てない。どうしようなんて考えてるだけで涙が出そうになってたら母が一番に私を抱き抱え、普段は重たいだとか腕が、とか文句言ってたお母さんが火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか?すごい力で私を持ち上げて、揺れで普通の人も立つの難しい状況の中引きずり込むように布団の寝床の所まで連れて行ってくれた。

PCデスクの所の椅子には、プリンターの上に重なってた書類などいろんなものが落ちてきて、プリンターも半分落ちかかってた。

お母さんが私を持ち上げてくれるのがあと一歩遅ければ、私はあの椅子の上にいた、と考えると怖い。強く長い揺れに恐怖心はますます増える。

お姉ちゃんはテレビを必死で抑えてる。

パニックで過呼吸を起こし始める私。泣き叫ぶ私に落ち着いてとお母さんが声をかけてくれる。

母「のんちゃん、あれ?奏汰はどこにいるの?」

姉「うそ!どこ!?探してくるからママたちここに居て!」


お姉ちゃんは自分の部屋とか探しに行ってくれた。


来空「さっきからキッチンとか机の下行ったりきたりしてた」

っていう私の証言どおり
奏汰はテーブルの下しかも壁との隙間にはさまってじーっと耐えてた。

お姉ちゃんが奏汰をとっ捕まえてくれた。でも奏汰は嫌がって、その場から動こうとしないため、首根っこ掴んで引っ張り出してようやくでっかい犬が全身をあらわした(笑)
お姉ちゃんが「のんちゃんのところ行って」と誘導するけどフラフラ揺られててまっすぐ歩けてない奏汰は
やっとここに来たと思ったら逃げるように急いでケージの中入っちゃったのでお母さんがケージの扉閉じた。
運良く悪く?このタイミングで地震、二度目の大きな地震がきた。

テレビを片手で押さえながら私の手を握りしめて
「大丈夫だから泣かないの!泣かないの!」って怒り気味に叫ぶ姉。

来空『死んじゃうよー、家が今傾いたよ。怖いよ。死にたくないよ。私生きたいよ、まだ生きたいよ。病気なんかどうでもいいから生きてたいよ。こんなので死んじゃうなんて』

姉「死なない!!だからそんなこと言わないで!」

母「…もういいよ。お母さんあなたたち二人が居てくれるだけでいいの。死ぬときは3人とも一緒に死ねる。だからそれでいいじゃない。」

そう言って私と姉を抱きしめる母。

姉「は?お母さんまで何言ってんの!!!死なないから!私だって死にたくないんだよー!」って半泣きで二人に怒鳴りつけるお姉ちゃん。

お姉ちゃんの姿勢が限界に近づいてきた時、地震はおさまった。

テレビはお姉ちゃんの死守によって割れることなく壊れずに守られた!

でも部分的に家の中ぐちゃぐちゃ。もともとぐちゃぐちゃではあったけど余計に。
あとから知るけど他の一軒家とかと比べたらこの惨事も比較的マシな状態だったみたい。ひどいおうちは、食器棚たおれたり食器やガラス割れたりしてたみたいなので。

だって奏汰の隣に置いといたCDラックが棚ごと倒れて奏汰のいるゲージの中にCD、DVD、本などいろんなものが入り込んで、ゲージの中にいたから守られてたけど、ゲージに思いっきり倒れかかってる棚に怯えてる奏汰。

それからはずっと余震が続いてたけどこれほど大きな地震はなくなった。

ニュースをただただ見つめる親子3人。


私はパニックなりながらYukakoに電話かけてたみたい。向こうも電話かけてきてたっぽいから無事なはず。
少し落ち着いた頃は大好きな彼にメールした。彼もユキちゃん(愛犬)も無事だったみたいで良かった。
もう別れる話が出てた(学校で私を直視出来なかったくだりからなんか関係がギクシャクし始めてた)のに、それどころじゃなかった。お互い生きててよかった。改めて思った。

宮城県沖地震というのが、一瞬「宮崎県」に見えてて、
『ちいの家!!(鬼束ちひろの実家)』って叫んだらお母さんが「みやぎだよ!ミヤザキではないから大丈夫だよ」って言ってくれた。

ニュースもパニックになってて情報が混乱してるみたいだった。お姉ちゃんがいろいろツイッターとかで情報を仕入れてくる。

津波が来ます逃げてください!みたいな放送がずっと続く。



母が「岩手県の宮古ってけいちゃんの実家だよ!!みぃちゃんのおじいちゃんおばあちゃんのお家があるところ!うそでしょ」っていう。

いとこのおばあちゃんおじいちゃんの家があるところ、、、。

無事であること祈ってた。

大丈夫だったみたいですが。その後の被災地の様子が怖いくらいの悲惨な状態が放送されてて。

テレビを見るたび悲しくなった。テレビを見るたびつらくなった。

壊れた世界。地獄みたい。

私の心境そのものみたいな感じにしか見えない。絶望的。

泣いてる人を見ると涙が止まらなくて、津波の映像を見ると嗚咽しながら泣きまくるしかできない。


日に日に増えていく負傷死者と行方不明の数は増えていく。

生きてきたなかで一番悲しい出来事。歩けなくなって2ヶ月でこんな出来事に合うなんて。


もういっそのことこれ以上ないほどに地獄になればいい。

世界なんて終わればいい。自分ごと世界全てが消え去ればいい。

2012年に世界滅亡説があったので、それを本気で信じたくなるほど何もかもを嫌になってた。


マンションはエレベーターが動かないし
外に出られなかった

転校の手続きは向こうの支援学校の先生たちがなんとかやってくれた。

でも最後の終業式は最後にみんなにさようならを言うために出ることにした。
地震が怖くて外に出るのも怖かったけどそれでもいきたかった。

みんなにありがとうを言いに。そしてみんなとは別の新しい人生歩むためにも。