私はといえばーーー
ーーこれで母が亡くなれば、伴侶である男から、酷い仕打ちを受ける姿を見ずに済むのだーーー
そんな娘らしくもない、非情なことをぼんやりと考えていた。
父は、病魔が母をあの世に連れ去る前に気が付いたのだ。
母が自分にとって、かけがえのない女であるということに。
父は母を「えいこ」と名前で呼ぶようになった。
これまで、母にプレゼントの1つもしたことがなかった父が、フラワーアレンジメントの籠や果物のゼリーを手に足繁く母の見舞いに通った。
家でも常に母の病状を気にし、退院直前には、母が過ごしやすい住まいにしなくてはと、シングルベッドを購入、なんとそれを狭い居間のTVの前に置いた。
リハビリには必ず付き添い、母の病状が安定すると、2人でよく遊びに出掛けるようになった。
仲睦まじい熟年夫婦。
それは美しい光景だった。
母は、長い結婚生活の末、不自由になった身体と引き換えに、ようやく平和を手に入れたのだ。
こんな夫婦もいるのだ。
ーーお母さん、
別れないで、辛坊して良かったね…
私は、小さくなった母の背中の後ろで呟いた。
しばらくして、私は1人暮らしの為にアパートを借り、家を出た。