なんで——


 男は腰を必死に動かす。合間合間に、男の口からは堪えるような吐息が漏れた。


なんで——


 室内に響くのは、男の喘ぎ声と、ベッドが軋む音と、鎖の擦れる煩わしい音。


 男は出る、と聞くに絶えない矯正をあげて果てた。


なんで——


 男は何度も震えると自身をフィリアムから引き抜いた。

 その瞬間ですら反応のしないフィリアムに男は舌打ちをした。


「お前は……顔だけで全くつまらないな」


 それでも反応しないフィリアムに、男は再び舌打ちをして部屋を出て行った。
 男の足音が全く聞こえなくなった後、フィリアムはようやく体を起こす。

 毎度こんなところまでご苦労なことだ。フィリアムを嬲る愉しさはここまで来る苦労と匹敵する価値があるのだろうか。

 フィリアムはベッドから足を降ろすとゆっくりと時間をかけて立ち上がる。それでも足首につけられた枷は容赦無く痛めつける。

 ベッドに戻ることも一瞬考えたが、体に残された男の体液を思うと湯浴みに行かないことは考えられなかった。

 これ以上枷についた針が伸びないよう、慎重に歩く。その途中で邪魔な布は全て取りさった。

 背中を撫でる髪が鬱陶しい——






 浴槽には常にお湯が溢れんばかりに溜めてある。
 そこに足をつけると、体を中に滑り込ませた。


 そのまましばし、ボンヤリと空を見つめる。

 浴槽の真上にある天窓は蔓に覆われていて、光は差し込まない。いつも通りの光景。その先にあるはずの空を見つめながら口を開いた。






  ユカシアの弦よ

  その茨をどこまで伸ばすのか

  幾百年もの歳を経て

  弦は銀の鐘を覆うだろう

  その茨は長く鋭く

  誰をも通さぬ盾となり

  鐘は悠久の時の中

  ただ時を伝え続ける——






 眠れない夜に母が歌ってくれた子守唄。

 それを歌い終えた時、フィリアムは音を出さないようそっと息を吐いた。


「まるで……私のよう」


 シンとした浴室に反響する自分の声。
 それに否定する者なんているはずもなく、フィリアムは苛立ち紛れに湯を力任せに叩いた。

 派手に水飛沫があがる。
 
 それでも気持ちは治まらず、フィリアムは体から力を抜くと、とぷんと頭までお湯の中に沈めた。

 銀の髪が湯の中を泳ぐ。



 ——どこが、私のようなのだろう?


 銀の鐘はユカシアの庇護の中で凛と美しく、気高いまま自身の役目を果たし続ける。

 だが、自分は。
 自分はどうだ——?

 護ってくれるものなんて何もなく。
 悪意にさらされて。
 悪戯に穢されて。

 求められることは、ただ飾られた人形のようにそこに在ることだけ。




 こんな理不尽な世界を壊すのはとても簡単なこと。
 

 肺の中の空気を全て吐き出して。 

 目を閉じて、泡も穢されたその髪も視界から消すだけ。




 ほら、父と母のフィリアムを呼ぶ声が聞こえる。


『フィオ』
 

 師も友人も傍らで微笑む。


『フィオ』







 虚構の世界は今日もとても優しい——