「そう言われてもなんかスッキリしないんだよねえ。史朗さんの立場はよくわかるよ。老舗の呉服屋の長男として生まれた以上、妻を娶って一人前の男にならなきゃいけないよな。あの人は四十近くまでずっと独身だったから、周りの人間にものすごいプレッシャーをかけられていたんだと思う。親御さんに心配をかけたくないっていう気持ちもわかるよ。でもねえ……」

 水川は頭の後ろで両手を組む。

「たとえ戸籍上だけのこととはいえ、あの人が他人のものになっちゃうっていうのは切ないんだよなぁ。所詮、俺ってあの人にとっちゃあ日陰の存在なのかなぁって」

「……」

「俺はね。実際、婚約者のあんたをこの目で見てどんな人間かを見極めてみたかったんだよ。こんな奇妙な条件を飲んでまで年上の金持ちと結婚したがる女なんてのは、正直、信用できない。あんたが史朗さん自身じゃなくてあの人の資産に関心があるとしたらヤバいんだ。あの人が先祖代々受け継いできた財産を、どこの馬の骨ともしれない女に吸い取られてしまったら困るからな」

「嫉妬してるんですか」

「バカ言うんじゃねえよ! 史朗さんはあんたなんか歯牙にもかけない!」

 年下の小娘に切り込まれ、水川は彼女をにらむ。

「ええ、そうでしょうね。おっしゃるとおりです。彼は私をそういう目では見ていません」

 陶子はくつくつと笑う。

「冗談を言ってごめんなさい。でも、いきなり初対面の人に財産狙いの妖婦扱いされたものだから、私も少し面食らってしまいました。水川さん。私は決して財産に引かれて松若さんと結婚しようと思ったわけではありませんよ。実際、私の所にはもっとお金を持っている方との縁談も来ていました。彼が私の考え方や主義を尊重してくださる方だから結婚しようと思ったのです。あの方はとても寛容で物事に対する理解があります。私のような貧しい生まれの娘に対して慈悲の手を差しのべてくださるからこそ、私は社会が彼に求める役割を演じようと思ったのです。あの方が現在の不自由な立場から私を解放しようとしてくださることに感謝しているのです」

 陶子は水川の目を見、彼もまた彼女の目を見ている。

「あなたの不安な気持ちもわかります。理屈ではわかっていても感情では納得できないものがあるのだと思います。もし、この結婚にご不満なら松若さんに直接あなたの気持ちを伝えてください。たとえ名目上の存在でも妻を娶るなんてやめてくれと訴え掛けてください。でも、私の方からこの約束を反故にすることはできません。彼との縁を取り持ってくれた学校に迷惑をかけてしまいますから」