中年期に入ると幸恵は「越仁会の御意見番」とか「越仁会の女帝」と呼ばれるようになった。越仁会が経営不振に陥った地元のショッピングセンターを買収した時は陰の立役者として働いた。地方議員がパチンコ規制運動を展開し始めた時は、敵対する議員に働きかけてその動きを封じ込めるのに奔走した。そういった長年の功労から、地元の遊技業組合に属する同業者に「姐さん」と呼ばれ一目置かれる存在となった。

 権藤が七十七を迎えた時は、会社をあげて大々的に喜寿を祝う会を加賀温泉郷の高級旅館で催した。その会には地元の議員や実業家といったそうそうたる顔ぶれが出席し、司会は地元ローカル局の名物アナウンサーが務めていた。その席で社長の権藤以上に強いオーラを放っていたのが幸恵だった。五十を過ぎたというのにその美貌は衰えず、まだ十分に黒い髪をアップにして艶やかな加賀友禅を着こなしていた。宴席で彼女は日舞の演目を披露して会場をうならせた。学園伝説の女は本物の伝説になった。