姫争奪戦のためだけに急遽作られた闘技場内の廊下を姫は走っていた。
息を切らしながら選手控室の扉を開ける。
怒っているように眉をつり上げている時、姫は心配しているのだ。

「フリップ!」

腕に包帯を巻き直している筋肉質の男は姫の叫びに答えるために顔を上げた。
下半身はタイトなパンツでわからないが、露な上半身は傷だらけだ。

「いかがなさいました?」

「貴方がいないと気づいて召使いに聞いたところ、また試合だと知って…」

「走って駆けつけてくれたのですね」

「当たり前じゃないの!」

フリップは猛々しい肉体とは反対に柔和な笑みを浮かべた。
姫が生まれてすぐに護衛となった彼は彼女を知りつくしていた。
包帯を巻き直すと立ち上がり、まだ息の荒い姫を見て嬉しそうに口元を緩める。

「大丈夫です。私は絶対に負けません。姫様が応援してくれる限り」

「応援って……全部わたくしのせいじゃないの! この傷だって一昨日……」

姫はフリップの左胸の包帯に手を当てた。
前回の試合で相手の剣が心臓近くの肉に刺さったのだ。
姫は観覧席で気を失いそうになった。
その時のことを思い出して、鼓動早くなる。

「やっぱりお父様に抗議してきますわ。貴方をこれ以上けがさせたくないもの」

「私は負けません。それに勝ち続ければ正式に姫様と結婚できます」

「お父様はフリップのこと反対してないのよ。ただ己の欲のために続けているだけなの」

日射しが皮膚を突き刺すような暑さの中始まった争奪戦も気づけば雪の気配がしてくる季節になっていた。
それほど時が経っても挑戦者は減らない。
この試合にはルールはなく、相手を殺してもいいとなっている。
フリップは争奪戦前に国一番の強豪の名高かったので、相手は死ぬ気でかかってくる。
だが、この優しき男はどんな相手も殺さないのだ。
理由は一つ――「姫が悲しむから」。
殺さないように細心の注意を払いつつ、相手を倒さなければならない。
生傷か絶えないのもそのためだ。

姫は腕の傷、首の傷、胸の傷、腹の傷に手を当て、見えない下半身の傷に目をやった。

「勝たなくてもいい。だから、絶対死なないで」

縋るような姫の目を真っ直ぐ見据えて、フリップは頭を振る。

「それだけはいくら姫様の命令でも聞けません。私は誰にも貴女を渡したくない」

いつだって優しいフリップ。
だけど、この願いだけは聞き入れてくれない。
知っているのに悲しくなる。
でも彼の愛情の深さに不謹慎にも嬉しくなる。
様々な感情がせめぎ合い、どうしようもなくなって姫はフリップの背中に手を回す。
顔を彼の胸に埋めて鼓動を聞く。
何も言わなくても抱きしめ返してくれるのだ。
彼の手が離さないとでも言うように頭を押さえる。
あたたかくて、この後もしかしたら会えなくなると思えないくらい幸福な時間。
いつまででもこうしていたい。
一時間。一晩中。一日中。……一生。
自分が離れるまで彼は離れないから、誰も呼びに来ない限りこうしていられるのだった。