恋人を振り向かせる方法



「大丈夫です•••」

悔しいけれど、敦哉さんは余裕たっぷりだ。
生まれて初めてキスをしたわけではない。
だけど、こんなに体の芯まで感じるキスは初めてだった。
足元がよろけそうになりながらも、少し敦哉さんから離れる。

「お休みなさい、敦哉さん。また、明日」

気の利いた言葉一つも口に出せず、俯きがちにそう言い残すと、今度こそアパートの玄関ドアに手をかけた。
オートロックの解除をする為に、ボタンに手を伸ばした時、背後から敦哉さんの声がしたのだった。

「お休み、愛来。また明日。それから、俺たちはもう付き合ってるんだから、敬語は無しな?」

「え?敬語は無し?」

振り向くと、敦哉さんが小さく頷いた。
そして、私の側へゆっくりと歩み寄ったのだった。
その顔は少しムッとしていて、私のおでこを指で軽く突く。

「そうだよ。それが自然だろ?じゃあ、本当にお休み」

突つかれたおでこに手をやり、小さく手を振って身を翻した敦哉さんの背中を見つめる。
だんだん遠くなっていく姿を見ていると、愛おしさが込み上げてきた。
ほんの数時間前までは、憧れの先輩という存在だった敦哉さんが、今は私の恋人なのだ。
その事実を噛み締めれば噛み締めるほど、引き止めないわけにはいかなった。

「敦哉さん!待って!」

呼び止めてどうするつもりか。
なんて、考えるのは苦手だ。
気が付けば走っていて、振り向いた敦哉さんの胸に飛び込んでいたのだった。

「愛来?」

背中に手を回して顔を胸に埋める。
敦哉さんは見た目以上に締まった体をしていて、私の手と手は届かなかった。

「敦哉さんは、どこまで帰るの?遠い?」

呼び止めたのは、単に離れ難かっただけだと気付いたのは、自分の口から出た質問がそれだったから。
わざわざ引き止めてまで聞く質問ではない。
だけど敦哉さんは嫌がる事も不審がる事もなく、優しく抱きしめてくれたのだった。

「ここから近いよ。歩いて5分くらいかな?大通り沿いのアパートだから」

「そう•••なんだ」

敬語を使うなと言われ意識してみるも、まだ自分の中ではぎこちなさを感じる。
それなのに、こんな風に抱きしめる事は出来るのだから、自分の意外性に驚きだ。
次は何を聞こうか。
敦哉さんに飛び込んだはいいけれど、この先をどうすればいいのか。
考えていると、敦哉さんから私をゆっくりと離したのだった。

「今度、うちに誘うよ。愛来には、俺の事をよく知ってもらいたいから。ほら、もう帰れ。ここから見ておくから、ちゃんと部屋へ戻れよ」

「うん•••」

この寂しさは、本気で恋をしている証拠だ。
好きな人が恋人になった瞬間、きっと誰でも欲張りになると思う。
離れたくなくて、もっと側にいたくて、その想いを25歳にもなった今、改めて実感している。
言われる通りにアパートへ戻ろうとした時、敦哉さんは頬に軽くキスをした。

「今度こそお休み、愛来。明日が待ち遠しいよ」