そして一番西の端が愛宕山登山口の鳥居の形である。
標高300mで林の中なので長い青竹の先端に
たいまつを掲げる。

その数80基。わりとよく見える鳥居の形である。
この送り火は何時のころから始まったかは不明であり
その目的も謎のままである。

平安京以前にそれらしき火祭りの記録もある。
平安時代には仏教の広がりと共に送り火は定着したようだ。

文献によれば時期は旧暦の7月15日ごろが多く
近年はとにかく8月16日のお盆の送り火として
戦前から行われてきたが、

江戸時代には5月とかにも送り火を焚いた記録がある。
不作で五山がそろわない時も、隣村から
薪や人手を借りてきて火をともし続けてきた。

当時送り火は町衆の最重要祭事であたようだ。