ハーディンはオアシス都市セティで生まれた。
セトの名前を冠した砂漠の街で産まれ、赤子時代をこの街で育った。

庭には砂漠の薔薇が咲き、この子を祝福した。
ハーディンがよちよち歩きをする頃、北エーデルラントの王妃でもあった母親は、生家のあるセティにて療養中であったが、風邪を拗らせて急逝した為、父親ジークフリート八世の元へ引き取られ海を渡り王都ジーゲンへと迎えられた。
この間の話はまた別の話になるので、ここで話すのはやめておこう。

ここでは、彼がセティに帰還したあとの話について触れようと思う。

成人し一人前の王のナイトとなり、武勲を上げたハーディンであったが、彼が最後の任務を完了し、長い戦乱の幕が閉じた時、彼は満身創痍であった。

その為、同行した戦乙女ロスヴァイセはハーディンを彼を生地セティへと送り届けた。

彼の母親の生家にて手厚い看護を受け、彼がこの世に命を留められた時、庭に砂漠の薔薇やアリッサム、マムなどが咲いていた頃、彼の祖母は戦乙女にこう申し出た。

「私はこの子と共に過ごしたいのです」と。

ロスヴァイセに断るすべがあったであろうか。彼女は微笑むとその願いを聞き入れた。

戦いで役目を終えたハーディンの消息が戦後分からなくなったのはこの為である。

夜空には星ぼしが煌めき寒暖の差の激しいこの地方の華は澄んだ夜空にあった。
ダマスクローズの香りを乗せて。