高いビルの間を冷たい風が通る音がする。
大通り沿いに植わる木々から飛ばされてきた枯れ葉が、足下に渦を作っている。


奈々子は結城を見上げた。
結城は拓海が去って行った方向をじっと見ていた。

目に涙はない。


「拓海さん、幸せそうでした」

「うん」

「よかったですね」

「うん」


結城はそう言うと、奈々子の顔を見る。
それから
「ありがとう」
と言った。


奈々子はつないでいた手を離す。
それから結城の顔を見つめた。


彼の整った顔。
長いまつげ。
大きな瞳。


女性は皆、彼の美しさに見惚れてしまうけれど、彼の心のうちは、悩み、苦しんでいる。
他の人と変わらない。


奈々子は結城を安心させるように笑顔をみせた。


「役目が終わりました」


結城は何も言わず、じっと奈々子の顔を見ている。
風が髪をかき乱す。
コートの襟に半分かくれた頬は、寒さで赤くなっている。


「拓海さんの赤ちゃんを見に行くときには、声をかけてください。それから、暇でしかたなくて困るってときには、誘ってください。病院の受付で会っても、これまでどおりに接します」

奈々子はそういって、息をはいた。



結城は奈々子の言葉を聞いた後、しばらく黙り込む。

それから「これで終わり?」と聞いた。


奈々子は自分の手を組み合わせる。
冷たくて痺れている。
少しうつむいて、それから再び顔をあげ、結城の顔を見た。


「きっといつか……見つけようと思って出会う誰かではなく、知らぬ間に心に入り込んで、その場所を埋めてくれるような、そんな人と須賀さんは出会えると思います。それはきっと、わたしじゃありません」


結城はまばたきをせずに、奈々子を見つめる。


「今まで拓海さんのために生きてきたんですよね。だから……これからは自分のために生きてください。誰かに出会って、それから愛してください。なんだか偉そうなことを言って、申し訳ないんですけど。わたしも誰かを幸せにしたいから、そんな人と出会えるように祈ってもらえるとうれしいです」

奈々子は再び笑顔を見せた。




枯れ葉が舞っている。

結城のカーキのモッズコートの袖に、黄色く染まった葉が一枚留まった。
奈々子は腕をのばして枯れ葉を取り、風の中に放つ。

結城は空に舞い上がったその枯れ葉を、目を細めて追う。
それから再び奈々子の顔に視線を戻した。


「たぶん、奈々子さんの言う通りなんだろうな」
結城が寂しげな笑みを見せる。




大通りから車のクラクションが聞こえた。
奈々子は、結城の心なしか潤んでいるように見える瞳を見つめた。


「君には感謝しかない。本当に。僕も……奈々子さんが自分の幸せのために生きられるよう、心から願うよ」

結城は奈々子に手を差し出す。


「ありがとう」


奈々子は、
指が長く大きい手の平をしばらく見つめ、
それからそっとその手を握った。


「お別れのキスをしてもいい?」
結城が訊ねる。

「冗談ですよね、わかってます」
奈々子は笑ってそう返すと、結城もつられて笑った。

「さよなら」
結城が言う。

「さよなら」
奈々子もそう言った。



奈々子は手を離し、くるりと結城に背を向けた。