再び沈黙が流れる。


拓海はカップをテーブルにおいた。
カタンとガラスがなった。


「今まで世話になった」
拓海は結城の顔を見る。

「ありがとう」


「……なんだよ、改まって」
結城は拓海の顔を見ようとしない。
カップに口をつける。


「この間ゆきと、おふくろの墓参りに行ったんだ。命日だったろ? 今までとても行く気になれなかったんだけど、ゆきがどうしてもって言って」


結城は初めてちらりと拓海をみる。
そしてまた、テレビに視線を戻す。


「お前はわかってると思うけど、俺はずっとおふくろに怒ってた。彼女の命を奪ったことだけじゃなくて、なんていうか、勝手に先に逝ってしまったことにも。命で罪を償ったって言えば聞こえはいいけど、逃げたんだってそう思ってた」


「俺はまだちゃんとおふくろと話してなかった。怒鳴って、責めて、泣いて、それからたぶん、母親を許したかった。『大丈夫。怒ってないよ。側にいてくれ』って言いたかった。でもその機会を待たずに、おふくろは死んだ」

拓海は両手を膝の上で組む。目を閉じた。


「『あなたは宝物』よくそう言ってた。クラスメートの母親が作ってくれるような、手の混んだおやつなんかは作れなかったけど、野菜炒めとかカレーとか、大好きだった。仕事から帰ってくると『待っててね、すぐ作るから』って。着替えて、化粧を落として、髪をゴムでとめて、それからエプロンをしめる。俺はおまえと一緒に、おふくろの背中を見てた」


「父親はいなかったけど、おふくろがいて、おまえがいた」


「幸せだった」

拓海は思わず笑みをうかべる。


「おふくろは俺を愛してた。ずっとわかっていたけど、でもわからない振りをしていた。すごく怒ってたから」


「お前の気持ちもわかっていて、でも無視してきた。お前が俺の元を去ったら、俺は死ぬしかなかったから。お前を利用してたんだ」

結城が小さく息を吐く気配が感じられた。


「おふくろのお墓に行ったらさ、管理の人に不思議がられたよ。毎年、違う人がくるのにって。すごく背が高くて、きれいな男の人で、その人が息子なんだって思ってたって」

拓海は結城に顔をむける。


「お前がずっと、おふくろの側にいてくれたんだな」


「ありがとう」


結城の顔は依然として拓海を見ない。
前をじっと見続けている。



「団地の敷地の中で、ドロケーをして走り回ったこととか、夏休みの自由工作を二人で作ったこととか、宿題を写させてもらったこと。同じ音楽を聴いて、同じテレビを見て、同じことで笑って、同じことで泣いた」


「お前と一緒じゃなきゃ、俺はあんな幸せな時間を過ごせなかった。お前は俺の特別だ」


結城が拓海の顔を見る。
顔から感情は読み取れない。



「この気持ちをどうやって表したらいいのか、他に適当な表現が見つからない。俺の心の中には、お前の場所があって、それは永遠に消えない。きっと俺なりに、お前を愛してるんだと思う」


結城の目が赤く充血しているように見えた。
結城が目を伏せる。




「長い間『家族』でいてくれてありがとう」



拓海はそう言った。



結城は身動き一つせず、じっと自分の膝あたりを見つめている。

それから顔をあげる。
いつもと変わらない笑みをうかべた。
少年のころから変わらない、本心を隠して冗談にしてしまう、そんな笑顔。


「何、言ってんだ。やたらと感傷的になって。俺は、お前が童貞じゃなかったってのが衝撃」

「違うって、言ってただろ」
拓海は笑う。

「ゆきさんの気持ちが冷めないうちに、さっさと籍を入れちゃえよ」

「いちいち、ひっかかる言い方だな」
拓海はカップを手にとって、最後のコーヒーを飲み終えた。
カップを持ってソファを立ち、キッチンへカップを戻しにいく。



背中から

「幸せになれよ」

と結城が声をかける。



「ああ」

拓海は涙をこらえて、そう答えた。