駅前のカレー屋さんに入った。
ここは最近できたばかりだ。
本日のカレーにナン、それからラッシーがついて七百円。
店内は狭く、薄暗い。
スパイスの香りが充満していた。
「さて」
珠美が腕組みをする。
「はい」
奈々子は下を向く。
「邦明とは、どうなってる?」
「えっと……。水族館に行って、それからレストランでディナー」
「ロマンチックじゃない」
珠美の眉間は皺がよっている。
「いい人」
「知ってる。だから紹介したの」
「それが土曜日、だったかな。それで、帰りに……」
奈々子は言いよどむ。
「何?」
「えっと、キスをされて」
「おっと。意外とことが早い」
珠美が目を丸くする。
「わたし、本当に、ショックで」
「はじめてだもんね」
「うん」
「それで、それから連絡とってない」
「向こうからの連絡は?」
「最近はない。私が返信しなかったから」
「ああっ、邦明に奈々子は全部が初めてだって、言っておくべきだった」
珠美が頭をかかえる。
「ごめんね、本当に」
奈々子は頭をさげた。
「いやこればっかりは、しょうがないし」
珠美が溜息をつく。
「須賀さんはどこででてくるの?」
「キスされたのがショックで、山手線をぐるぐる回ってたら、須賀さんにこの間キスされそうになったのを思い出して。あの時、しておけばよかったなって」
「……」
珠美が憮然とした顔で奈々子を見る。
「連絡したの?」
「電話して、それからすぐに思い直して電話を切ったんだけど、探しに出て来てくれた須賀さんと、朝まで……」
「何? エッチしたの?」
「いや、違うよ」
奈々子は真っ赤になって手をふった。
「キスを」
「朝まで?」
珠美が驚いた声を出した。
「うん。キスされたのがショックで嫌だったって言ったら、じゃあ、初めてのキスはなかったことにしようって言って」
「うわ……」
珠美が感嘆の声をあげる。
「プロ」
「なにそれ?」
「プロとしか言えない。キスへ持ち込む方法がさ。で?」
「で?って?」
「どうだった?」
「……あんな経験、二度とできないと思う」
「マジで?」
珠美が溜息をつく。
「うらやま」
「彼氏いるのに?」
「それとこれは別でしょ? それで、どうして旅行にでることになったの?」
「実家に行っただけ。ほんとだよ」
「え? 須賀さんと帰ったの?」
「うん?」
「どういうこと?」
「行きたいって」
「はあ?」
「わけわかんないよね。わたしもわけわかんない」
「ご両親、びっくりしてたんだじゃない」
「おお騒ぎ。でも友達だって紹介したから」
そこにカレーが運ばれて来た。
熱々のナンにバターがとけて、おいしそうだ。
「しかし……どういうつもりなんだろうね」
「うん。帰って来てから、須賀さんと一緒に暮らしてるお友達と一緒にごはん食べて、でも途中で須賀さんはモデルみたいな女の人と出かけちゃった」
「は?」
「女の人、ほら、鍵を届けてくれた時にいた、すっごい美人」
「ああ」
「近くでみると本当に可愛くて、須賀さんと並ぶとお似合いなんだよ。絵になる。しかも性格も悪くなさそう。それで、その子が『結城を今日ベッドに誘っても怒らないよね』って言って」
「それで、のこのこ、須賀さんはその子についていったわけ?」
「のこのこっていう表現があたってるのかは、わからないけれども……」
「なにそれ!」
珠美が怒りだした。
ナンを大きくちぎって、口にほおばる。
「須賀さんのお友達の、拓海さんっていうんだけど、彼が、引き返せるなら引き返したほうがいい。泣くことになるからって言ったの」
珠美が黙る。
奈々子も黙った。
しばらく二人でラッシーを飲んだ。
すると珠美が
「どうする?」
と聞いて来た。
「う……ん」
奈々子はカレーをスプーンでつつく。
「悪いことは言わないから、邦明に戻りなよ。ファーストキスががっかりだったのは残念だけどさ。でも何回かしてるうちに、情がわいてくるものよ」
「う……ん」
「わたしがとりなしてあげる。エッチしたらさ、もっと情もわいて、大切になってくるの。女ってそいういう生き物なんだよ」
後ろから抱きしめられて
「キスされたくない人に抱かれるの?」
と聞いた結城を思い出す。
彼と触れている部分はとても暖かく全身が痺れていた。
甘くて切ない、そんな時間。
「今週、ダブルデートセッティングしてあげる。私の彼とも会わせてあげるから。忘れちゃお」
「う……ん」
「あの人は手に入らないよ。奈々子と過ごした後、なんの後ろめたさも感じず、他の女の子が抱ける人なんだから」
珠美はそう言うと、ナンをもう一口ほおばった。