日本はまるで亜熱帯になったようだ。
東京は特に埃っぽくて息苦しい。
拓海は白シャツにデニムを履いた。
結城も白シャツに黒いデニムを着ている。
マンションの扉を開けると、二人とも思わず溜息をついた。
「あついな」
結城がマンションの鍵をかけながら言った。
「昔ってこんなに暑かったっけ?」
拓海はどんどん吹き出てくる汗を腕で拭う。
二人は電車に乗る。
新宿で私鉄に乗り換えた。
毎年この時期は、二人でこの電車にのる。
窓の外から高いマンションやビルは徐々に消え、小さな一戸建てが目立ち始める。
濃い緑色の木々が、後ろに飛んで行く。
二人はほとんどしゃべらず、電車に揺られた。
冷房が効いている。
最初は混んでいた車内も徐々に人が減り始める。
二人は並んで座って、窓の外を眺め続けた。
目的の駅に到着した。
二人は熱気に押されながらも、真夏のホームに降り立った。
それほど大きくはない駅。
この時期はでも、人が多い。
二人は改札を出て、長い階段を下りる。
お年寄りの夫婦が、階段をのんびりと降りて行くのを、二人は追い越した。
車の通行量の割には狭い道路を歩く。
歩道を示す白線は消えかかっている。
拓海が目を上げるとコンビニが目に入った。
「飲み物買う?」
拓海が訊ねた。
「帰りでいい」
結城が言った。
拓海は特に異論もなく、ふたたび二人は黙って歩いた。
立派な寺院の門と、階段下の大きな桜の木。
見上げると蝉がたくさんついている。
すごい鳴き声だ。
きれいに掃き清められた白い階段を上り、門をくぐる。
玉砂利を踏みながら進んだ。
寺務所の前に手桶と花、線香がセットになって並んでいる。
結城は箱にお金を入れて、その一つを手に取った。
拓海は線香を受け取ると、火をつける。
ろうそくではなく、最近は電気だ。
箱のような物に線香を入れると、ジリジリと音がして煙が上がって来た。
拓海は火のついた線香を、手提げの缶に入れて持つ。
二人は再び砂利を踏みながら、墓地の方へと歩き出した。
風は吹くが、熱風にちかい。
拓海は汗を腕で拭いながら、墓の前にたどり着いた。
ここに、鈴音が眠っている。
本当にここにいるのか、それともここではないどこかにいるのか、実際のところは分からないけれど。
生えている雑草を抜き、墓石に水をかけた。
結城も黙って掃除をしている。
「誰も来てないのかな」
結城が言った。
「枯れた花もない」
「そうだね」
拓海はそう言ってから、墓石に並ぶ名前が増えていることに気づいた。
「母親が亡くなってる」
結城は顔をあげた。日差しに目を細めている。
拓海の顔を見て、それから再びうつむいた。
彼女の母親は始終うなだれていた。
正明のように激しく責める訳でもなく、むしろ娘のしでかしたことを恥じているように見えた。
「娘が招いたことです」
彼女の母親は目をふせ、膝の上で両手を握りしめていた。
艶を失った髪に、痩けた頬。
疲れ果て、途方に暮れているようだった。
「そうか」
結城がつぶやく。
拓海は墓石の名前を見る。
彼女の名前と、その横にある新しく彫られた名前。
思わず指でその名前をなぞった。
終始目を伏せていた彼女の母親が、一度だけ目を上げた。
被告人席に座る、拓海の母親の背中をじっと見つめていた。
あの目。
言葉とは裏腹に、憎しみが溢れていた。
墓石の前に線香を置き、結城と二人で手を合わせ、目を閉じた。
「また必ず会えるんだよね」
彼女に心で話しかける。
あの言葉を信じられるような、印を、証明を、見せて欲しい。
人の光が見えなくなってしまって、たまらなく不安なんだ。
あなたを見つけられないかもしれない。
知らずに通り過ぎてしまうかもしれない。
会いに来てくれたのに、自分は他の誰かを愛してしまっているかもしれない。
僕の闇を照らす光は、あなた以外にいないのだと、信じさせて。
蝉が泣いている。
雑草を抜いた後の、土の香りがする。
ゆきの顔が脳裏に浮かんだ。
どうか……。
「お母さんと会えたかな」
拓海は目を開け、そう言った。
「誰にもわからない」
結城が言う。
「そうだね」
拓海は頷くと、手桶を持って墓地から歩き出した。
後ろからついてくる結城が
「おばさんのは行かないのか?」
と声をかけた。
拓海は立ち止まる。
無言で首を振った。
母親の墓には納骨の時にしか行っていない。
「そうか」
結城はそう言うと、歩いて拓海を追い越した。
結城の黒髪。
白いシャツに太陽が反射して、まぶしい。
結城は毎年拓海のこの儀式に何も言わず付き合う。
拓海は早足で結城の横に並んだ。
「帰ろうか」
「うん」
結城は頷いた。
二人はまた無言で家路についた。