「 …じゃあ、俺はここで 」

「 ありがとう 」


店の奥にある客間まで案内すると、彼女は軽く頭を下げてお礼を言い、
親父の待つ部屋の中へと消えていった。


「 おーい、薫!コーヒーまだ? 」


部屋の扉が軽い音を立てて閉まるのとほぼ同時に、
窓側の一番奥に座る常連客、七瀬さんが叫ぶ。


「 いま行きますって 」


俺は小さく呟くと、運ぶ途中だったコーヒーを
足早に七瀬さんのテーブルまで持って行った。


「 …お待たせいたしました 」

「 お待ちしておりました 」


七瀬 想太(Sota Nanase)さんは、この店の裏のアパートの住人だ。

歳は25歳で独身。見た目は都会でよく見るチャラい若者そのもの。
現在の職業は、売れない小説家だと自分で言っていた。

彼は、ほぼ毎日うちの店にきて決まってこの席に座る。
そして原稿だと思われる紙を大胆にテーブルいっぱいに広げ、
なにやら難しそうな顔で鉛筆を走らせている。


「 相変わらず、見た目と合わないことしてますね 」

「 うるせえなあ 」


そんな七瀬さんの手元の文章をチラリと覗き見ると、
〝 折れそうな細いからだをぎゅっと抱きしめた 〟
なんていう、こっ恥ずかしいフレーズが目にとまった。


「 また純愛小説じゃないすか 」

「 今回のは かなりの自信作だっつーの 」


そう言いながら、まだあたたかいはずのコーヒーに手を伸ばす。

七瀬さんが飲むのはいつも決まってブラックだ。
俺も飲んだことはあるけれど、子供舌なせいか好きになれない。