六つの夢

 東京に帰ってから私と彩花はお互いの影になったように、いつもいっしょにいるようになった。私の強い要望で彩花が家で朝食を取るようになった。午前中、食後はいっしょに家で遊んだり、本を読んだりする。午後は学校のプールに行く。
 彩花は読書家。休みの時は毎日二時間ぐらいは本を読む。彩花が本を読むので、いっしょにいる年上の私も読まざるを得なくなる。彩花のお陰で私はこの夏結構本を読んだ。
テレビや漫画しか興味がなかった私が読書に没頭するようになり、一番喜んだのは母。
 「読みたい本があったら買ってあげるわよ」読書に興味を持つようになった私に母が目を細める。
 彩花が読むのは世界名作。私の愛読書は推理小説。欲が出た母は私にも世界文学や名作を読まそうとしたが、効果はなかった。私は世界名作に没頭するように努力した。いつも読んでいるうちに瞼が重くなって、寝てしまう。無理すると本を読まなくなる。本はやっぱり好きな推理小説にした。
 学校が始まった後、私たちはいっしょに学校へ行って、いっしょに帰る。くっついて離れない私たちを見て、母も亜矢子も呆れている。
 「二人は兄弟のように仲がいいわね」台所で皿を拭いている母がやさしい眼差しで応接間で将棋を指している私たちを見た。
 「兄弟以上じゃありません」亜矢子が同意を求めて母の顔を見た。
 「このまま最後まで行くかしら」母が意味深長な目つきでちらっと私たち見た。
 「どうでしょう。ロマンチックな話しだわ」亜矢子が手を拭きながら言った。
 「亜矢ちゃんの初恋はいつだった」
 「私!もう忘れたわ」
 「私も忘れたわ」
 「またーあ」
 二人は同時に笑った。

 彩花はいつも七階に戻る前に、私と軽いスナックを食べてから行く。この日は七階に行った約三十分後に私の部屋へ戻った。
 「カズさん、一つになった」彩花が興奮気味に言った。
 「何が」私は五里霧中に迷った。
 「星が。おいて」彩花が私の手を引いて窓のほうに行った。
 無数な星が空一面に輝いている。
 「あの星」彩花が夜空に向かって手を上げた。
 「 。 。 。 二重になっているような星?」
 「はい。二つの星が重なったの」
 「そぉー」そう言われれば、そんな気もしなくはない。
 「嬉しい」彩花が力を入れて私の手を握った。
 「よかった」私は別の手で彩花の頭を撫でた。
 「カズさん、大きくなったら結婚してください」彩花は無垢な顔で私に純粋な瞳を向けている。
 「 。 。 。 」あまりの突然のことに私は興奮して鼻血が出そう。
 「お願いします」彩花が頭を下げた。
 「 。 。 。はい 。 。 。 」私の顔は興奮で赤らんだ。
 「ありがとう」彩花が私は抱いた。
 私は自然と手を彩花の肩に回した。沈黙が流れて、私たちは二つの星のように重なっていた。しばらくしてから彩花が顔を上げて私を見た。
 「約束ね」
 「約束する」
 彩花が小指を出した。私も小指を出して、彩花と指を切った。
 「ありがとう。もう帰るわ」
 「じゃね」本当は帰したくないが、子供である私は次にどうすればいいのか分からない。
 ドアまで行った彩花が振り返った。「さようなら」
 「さようなら」私が手を振った。

 彩花は私たちと夕食をした後、周一回のピアノのレッスンを受けに行く。レッスン後に先生とお茶を飲んだりして、帰りが遅くなる時は私の家に寄らずに七階に直行する。
 この日は彩花が十時になっても来なかったので、私は眠りについた。最近は町内の野球大会の準備のため、練習時間が長くなり、心身共に疲れている。
 布団の中に潜ってしまうと、私はすぐに彩花の夢を見始めた。近頃は彩花がよく私の夢に登場する。特別になにかをするのでもないが、彩花が現れると、私は彼女の手を握って気持ちよく睡眠することができる。
 しかし、今回は彩花が握られた手を一生懸命に振って、私から離そうとした。私は振りほどかれないように、握る手に力を入れた。彩花の振りもだんだん強くなり、私の体が左右に振られている。
 「カズちゃん 。 。 。カズちゃん」母が私を揺すっている。
 「 。 。 。 なに 。 。 。 」私が寝ぼけた目を擦った。
 「早く起きて、彩花ちゃんが帰宅途中に車に引かれて病院に運ばれた」母が緊張した面持ちで言った。
 「なに」私は弾かれるように飛び上がった。
 「彩花ちゃんが轢き逃げされて、病院に運ばれた」
 「大丈夫?」私の眠気が一遍に吹っ飛んだ。
 「分からないわ。早く着替えて行きましょう」母が私を催促した。
 私は急いで服を着て、益子夫婦と両親といっしょに病院に飛んでいたが、彩花は既に死亡していた。
 ピアノ・レッスンの後、彩花は自転車で帰宅した。途中、酔っぱらい運転手に引かれた。強く頭を打って、即死に近かった。病院に運ばれた時はもう医者はなにもすることができなかった。死亡認定時間は十月二十日。午後九時。
 変わり果てた彩花の姿を見て、私は慟哭した。涙が枯れるまで泣き続いていた。どうやって帰宅したのか覚えていない。
 私はショックを受けて、しばらく登校拒否した。亜矢子に、これでは天国にいる彩ちゃんが喜ぶわけがないでしょう、と喩されて、やっと学校に戻った。
 長い間悲しみに打ちひしがれて、私は考える余裕がなかった。若かった私が考えても運命の機微が理解できるはずがないが、社会人になり、揉まれてから、人生が多少見えてきた。そうなると、彩花は自分の死期を予感していたような気がしてならない。
 そうでなければ、少女であった彩花が私に「結婚してください」と言うはずがなかった。それにあの晩、別れる時はいつもの「また明日」が「さようなら」になった。「さようなら」と聞いた時、一瞬、不吉な予感が頭をよぎったが、彩花と愛を誓い、指切りした私は興奮して、深く考えなかった。
 もう少し早く気づけば、彩花は助けられたかもしれない、と思うと、私は悔やんでも悔やみきれない。