夕食後の八戸はテレビを見ている。どのチャンネルも似たような内容の番組を放送していて、おもしろくないが、神経がテレビに集中してすべてを忘れることができる。一時的なストレスの解消になる。社会人になってからまだ三年しか経っていないけど、三十年経過したような気がする。国際貿易会社に勤めている八戸は密かに転職を考えている。国際貿易はおもしろいけど、時間が長い。日本の午後五時はロサンジェルスの午前八時ごろ。貿易会社は午後の五時から忙しくなる。終わるのは八時か九時頃。帰って寝るだけ。自分の時間が全然ない。雨の日も風の日も星をいただいて出で、星をいただいて帰る。農業社会の時代の生活と全く同じ。テレビと車を持つように物質的には進歩した。生活の内容はそれほど変わっていないような気がする。なんのために働くのか、考えれば考えるほど分からなくなる。
景気が悪くて、失業率が高い時期、仕事があるだけで感謝しなければならないが、八戸は転職を真剣に考えている。安定した収入は大事だけど、人間らしい生活もしたい。欲張っては行けない、と知っていながらやっぱり給料がそこそこよくて、九時から五時の仕事がほしい。
「奈々美ちゃん」皿を洗ったお母さんが八戸の隣りに座った。「昨日の夕方、新宿のデパートでばったりと長田先生に遭った」
長田静夫は八戸の小学校一年、四年と六年の時の担任の先生。格好よくて優しくて生徒に人気があった。
「本当?元気そうだった」
「元気そうだった。お嬢さんが最近結婚しましたって」
「へェー、由嘉里ちゃんはもうそんな年?」
長田由嘉里は八戸より二歳年下。同じ小学校へ行っていた。顔は覚えている。小学校の後輩が結婚した、と聞くと、矢のごとき光陰の早さを感じる。
「子供の成長は早すぎる。あっという間に大人になってしまう。お嫁に行ってしまうのは寂しいけど」
「お嫁に行かなければいいのよ」
「バカみたいなことを言わないで。老後になったらどうします」
「老後のために結婚したくないわ」
「老後のためにしなくていいから結婚しなさい。奈々美ちゃんは付き合っている人はいるの」
「いない」
「休日は家にこもっていないで、男の友達と遊びに行きなさい」
「前は男の子と遊びに行ってはだめ、としつこく言わなかった?」
八戸が高卒するまでは両親は厳しかった。弟はいるが、娘だけを徹底的に管理しょうとしていた親に八戸は反発していた。
「前は前。今は今。奈々美ちゃんが未成年のころは騙されるのでは、と凄く心配していたわ」
「今だって騙されることはあるわ」
「だから子供が何歳になっても親の心配は終わらないです。しっかりしてほしいのよ」
「私は自分の面倒を見られるからいいの」
「まだ親心が分かっていないのね」
「最近の番組は全然おもしろくない」
「話題を変えるじゃないわよ」
「難しい話しはしたくないの。疲れているから」
「そんなら早く寝なさい」
お母さんの前では強がって見せる八戸は内心、彼氏がほしい。女性の人生の分岐点となる年齢は二十五歳ではなくなったが、二十五という数字が気になる。肌のことが気になる。容姿のことが気になる。結婚するのかどうかは別として、この年になっても彼氏がいないのは寂しい。三十路の道は遠くて近い。結婚は人生の選択肢の一つ。自分の意思で決められる。時の流れは違う。確実に進んでいく。これ以上は年を取りたくないが、自分の意思だけではどうしょうもない。
久しぶりに長田先生のことが話題になった。自分の部屋に戻った八戸はどうしても先生のことが頭から離れない。お母さんには言わなかったが、先生の名前を聞いた瞬間、急に思い出したことがある。あたかも心の隅に置きっぱなしにして忘れていたものが突然脳裏に浮かんだような感じ。
小学校一年最後の日に、先生は皆に自分の将来の夢を書かせて、皆の前で箱に入れて密封した。大事に保管するから十年後に開けて見ましょう、と言った。皆箱を開けるのを楽しみにしているような表情をしていた。もう十年以上経った。そのことを忘れてしまった。箱が開けられた話しは聞いたことがない。
公立学校教職員の人事異動があり、先生は二、三回引っ越しをした、と聞いたことがある。引っ越しをする時は荷物の整理整頓をしなければならない。先生は今でもその箱を持っているのでしょうか、と八戸が首を傾げた。
八戸はあの時、自分の将来の夢を書いたことは覚えているが、具体的には思い出せない。突然知りたい衝動に駆られて、いて立ってもいられなくなった八戸は小学校時代の親友西脇真弓の携帯に電話かけた。二人は同じ町内に住んでいて、街中でよく会うし、よく長電話で昔話しや近況を語り合う。
「真弓ちゃん、奈々美です」
「奈々美ちゃん、元気?」
「元気。突然ですけど、小学校の時のタイムカプセルのことを覚えています?」
「皆が自分の夢を書いて箱に入れたことですか」
「はい」
「覚えています」
「真弓ちゃんはなにを書きました」
「私!確かに将来看護婦になりたい、と書きました。どうして」
西脇は小学校の時はずっと看護婦になりたい、と言っていた。大学で国文を勉強して、今は雑誌社で働いている。
「急に思い出して知りたくなったのよ。私は自分がなにを書いたのか全然覚えていません。老化現象かしら」
「なにを言っていますか。まだ若いじゃないの。小学校の時の夢を知ってどうするのですか。もう超昔のことではありませんか」
「そうでしょうけど、気になります」
「昔のことよりも今のほうが大事ではありませか」
「どうしても知りたい」
「そんなに知りたければ先生のところへ行ったら」
「一緒に行かない?」
「私は自分が書いた夢をよく覚えている。見る必要がないわ」
「行きましょうよ。他の人の夢は知りたくないの」
「他人の夢はどうでもいいわ。私は自分のことで精一杯」
「でもおもしろい、と思いません?」
「思うけど」
「行きましょうよ」
「一緒に行ってもいいわよ。奈々美ちゃんが手配をして」
「分かった。行く日が決まったら連絡します」
電話を切った八戸は久しぶりにウキウキな気分。小学生に戻ったような気がする。クリスマスが待ち遠しい。一刻でも早くクリスマスプレゼントを開けて、中身を見たい感じ。
景気が悪くて、失業率が高い時期、仕事があるだけで感謝しなければならないが、八戸は転職を真剣に考えている。安定した収入は大事だけど、人間らしい生活もしたい。欲張っては行けない、と知っていながらやっぱり給料がそこそこよくて、九時から五時の仕事がほしい。
「奈々美ちゃん」皿を洗ったお母さんが八戸の隣りに座った。「昨日の夕方、新宿のデパートでばったりと長田先生に遭った」
長田静夫は八戸の小学校一年、四年と六年の時の担任の先生。格好よくて優しくて生徒に人気があった。
「本当?元気そうだった」
「元気そうだった。お嬢さんが最近結婚しましたって」
「へェー、由嘉里ちゃんはもうそんな年?」
長田由嘉里は八戸より二歳年下。同じ小学校へ行っていた。顔は覚えている。小学校の後輩が結婚した、と聞くと、矢のごとき光陰の早さを感じる。
「子供の成長は早すぎる。あっという間に大人になってしまう。お嫁に行ってしまうのは寂しいけど」
「お嫁に行かなければいいのよ」
「バカみたいなことを言わないで。老後になったらどうします」
「老後のために結婚したくないわ」
「老後のためにしなくていいから結婚しなさい。奈々美ちゃんは付き合っている人はいるの」
「いない」
「休日は家にこもっていないで、男の友達と遊びに行きなさい」
「前は男の子と遊びに行ってはだめ、としつこく言わなかった?」
八戸が高卒するまでは両親は厳しかった。弟はいるが、娘だけを徹底的に管理しょうとしていた親に八戸は反発していた。
「前は前。今は今。奈々美ちゃんが未成年のころは騙されるのでは、と凄く心配していたわ」
「今だって騙されることはあるわ」
「だから子供が何歳になっても親の心配は終わらないです。しっかりしてほしいのよ」
「私は自分の面倒を見られるからいいの」
「まだ親心が分かっていないのね」
「最近の番組は全然おもしろくない」
「話題を変えるじゃないわよ」
「難しい話しはしたくないの。疲れているから」
「そんなら早く寝なさい」
お母さんの前では強がって見せる八戸は内心、彼氏がほしい。女性の人生の分岐点となる年齢は二十五歳ではなくなったが、二十五という数字が気になる。肌のことが気になる。容姿のことが気になる。結婚するのかどうかは別として、この年になっても彼氏がいないのは寂しい。三十路の道は遠くて近い。結婚は人生の選択肢の一つ。自分の意思で決められる。時の流れは違う。確実に進んでいく。これ以上は年を取りたくないが、自分の意思だけではどうしょうもない。
久しぶりに長田先生のことが話題になった。自分の部屋に戻った八戸はどうしても先生のことが頭から離れない。お母さんには言わなかったが、先生の名前を聞いた瞬間、急に思い出したことがある。あたかも心の隅に置きっぱなしにして忘れていたものが突然脳裏に浮かんだような感じ。
小学校一年最後の日に、先生は皆に自分の将来の夢を書かせて、皆の前で箱に入れて密封した。大事に保管するから十年後に開けて見ましょう、と言った。皆箱を開けるのを楽しみにしているような表情をしていた。もう十年以上経った。そのことを忘れてしまった。箱が開けられた話しは聞いたことがない。
公立学校教職員の人事異動があり、先生は二、三回引っ越しをした、と聞いたことがある。引っ越しをする時は荷物の整理整頓をしなければならない。先生は今でもその箱を持っているのでしょうか、と八戸が首を傾げた。
八戸はあの時、自分の将来の夢を書いたことは覚えているが、具体的には思い出せない。突然知りたい衝動に駆られて、いて立ってもいられなくなった八戸は小学校時代の親友西脇真弓の携帯に電話かけた。二人は同じ町内に住んでいて、街中でよく会うし、よく長電話で昔話しや近況を語り合う。
「真弓ちゃん、奈々美です」
「奈々美ちゃん、元気?」
「元気。突然ですけど、小学校の時のタイムカプセルのことを覚えています?」
「皆が自分の夢を書いて箱に入れたことですか」
「はい」
「覚えています」
「真弓ちゃんはなにを書きました」
「私!確かに将来看護婦になりたい、と書きました。どうして」
西脇は小学校の時はずっと看護婦になりたい、と言っていた。大学で国文を勉強して、今は雑誌社で働いている。
「急に思い出して知りたくなったのよ。私は自分がなにを書いたのか全然覚えていません。老化現象かしら」
「なにを言っていますか。まだ若いじゃないの。小学校の時の夢を知ってどうするのですか。もう超昔のことではありませんか」
「そうでしょうけど、気になります」
「昔のことよりも今のほうが大事ではありませか」
「どうしても知りたい」
「そんなに知りたければ先生のところへ行ったら」
「一緒に行かない?」
「私は自分が書いた夢をよく覚えている。見る必要がないわ」
「行きましょうよ。他の人の夢は知りたくないの」
「他人の夢はどうでもいいわ。私は自分のことで精一杯」
「でもおもしろい、と思いません?」
「思うけど」
「行きましょうよ」
「一緒に行ってもいいわよ。奈々美ちゃんが手配をして」
「分かった。行く日が決まったら連絡します」
電話を切った八戸は久しぶりにウキウキな気分。小学生に戻ったような気がする。クリスマスが待ち遠しい。一刻でも早くクリスマスプレゼントを開けて、中身を見たい感じ。
