六つの夢

 午後11時。
 まだ最終電車の時間まで大分あるが、JR新宿駅へ走っていく人を見かけるようになった。気持ちが焦っている証拠。
黒花はもう完全に諦めたけど、期待せず、ただ人事を尽すのみ。帰ることも考えなくなった。もう二度と出雲を待つことはない。これは出雲への最後のご奉公、と見ている。これで終われば、やるべきこと、やれることはすべてやった、と自分自身に言える。将来振り返ってみても、後悔する余地はない、と自信を持って言える。
願わくば、たとえ出雲が結婚したとしても、約束した通りに会いに来てほしい。その反面、結婚した場合、約束を反故にしたことになる。来たくない気持ちは分からなくもない。自分もそういう立場になれば、まだ思ってくれている人に結婚のことは言いにくくなり、どうも約束の場に行くのに躊躇する。そう考えると、出雲を責める気持ちにならない。二人の関係に正式に終止符を打つために、やっぱり出雲に来てほしい。出雲からサヨナラを言ってほしい。二人で始めた旅。二人で終わりにする。そのほうがすっきりする。

「年に一回しか会えない。寂しい話しですけど、ロマンチック」出雲は夢心地で星一杯の夜空を眺めている。
七夕の夜、黒花と出雲は原宿のNHKの後の広場のベンチに座り、ソフトドリンクを飲みながら美しい空を見ている。星がちりばめられた夜空は輝き続けている。午後に雨が降って、夜は涼しい感じがする。七夕になると、恋人同士で過ごしたい人が特に多い。広場はアベックで溢れている。
広場ではスターになることを夢見て歌うグループ、ギターを引きながら独唱する人、踊る人、漫才の練習をする人たちなどで賑わっている。アベックたちは周りの騒音を無視して、すっかり自分たちの世界に浸っている。
「年一回だからロマンチックじゃない」黒花は出雲の手を握った。
「そうですよね。でも千年経っても二千年経っても二人の気持ちが変わらないのは凄いと思いません」
「凄い」
「こういうロマンチックな話しって、現実の世界に起きる、と思います?」
「さあ、どうでしょう。運命の人に出会えばあり得るのではないか」
「黒花君は運命の人に出会ったことがあります?」
「ウン 。 。 。 玲奈ちゃんは」
「アタシ 。 。 。アタシは 。 。 。アタシのほうが先に聞きました。ちゃんと答えて」
「ずるい」
「ずるいじゃないわ。教えてェ」
「 。 。 。 出会ったことがある」
「本当!」興味が一遍に湧いた出雲は座り直して黒花の顔を見た。「教えて、教えて。会った瞬間にビビッと来る感じはありました?」
黒花が頷いた。
「へェー、凄い。その後は」
「その後、玲奈ちゃんが話す番じゃない」
「アタシのことはどうでもいいの。その後はどうなったの」
「その後 。 。 。 」
「終わった話ではないですよね」
黒花が頭を振った。
「あの人はどこにいます」
「 。 。 。 」
「教えて」
「目の前にいる」
「はッ」出雲の顔に驚喜の色が浮かんだ。
「千年も二千年も気持ちは変わらないからね」
出雲は声にならないぐらい感激している。
二人は無言のままじっと見つめ合っている。言葉を交わす必要がない。心が通じている。時が止まったかのような空間にいる。一瞬のような永遠。永遠のような一瞬。二人だけの世界となった。幸せの絶頂に浸っている。
永久にも感じられるような沈黙が流れた後、黒花が口を開いた。
「玲奈ちゃんに遭ってよかった」
「アタシも真さんに遭ってよかった」
「ボクはここで卒業して、ここの高校へ行きたいけど、お父さんは人事異動で他の地域に配属されるかもしれない。そういう時はどうします」
「会いに行きます」
「年一回?」
「アタシが夏休みに会いに行きます。真さんが新年休みに会いにくだされば年二回会えます。その間は文通と電話をしましょう」
「そうしましょう」
「頑張って同じ大学へ行きましょう」
「頑張ろう 。 。 。もし 。 。 。あくまでも仮定の話だけど。もし連絡が取れなくなった場合、どうします」
引っ越し常連の黒花は引っ越しの落とし穴をよく知っている。引っ越す前後に大量のゴミと不必要品が出てくる。必要品がゴミの中に紛れ込んだり、どこの段ボール箱に入れられたのか分からなくなったりすることがしばしばある。黒花は小学校の親友の電話番号と住所をなくしたことがある。
「そんなことはあり得ないでしょう」
「念のため心の準備をしておきたい。万全の策を取りたい」
「学校に戻れば卒業生の名簿があります。調べれば分かります」
「でも地震のような天災が起こる時がある。そういう時は長い間連絡を取れなくなる可能性がある」
「どうしても連絡が取れない場合は七夕の日に、新宿の紀伊國屋の前で七時に会いましょうか」
「そうしょう。二十五歳の七夕の日にはどんなことがあっても会いたい」
「どうして」
「その日にプロポーズする」
「本当!」出雲は思わぬ言葉に目を見張った。感動の面持ちで黒花を凝視している。一生忘れられない瞬間になる。
「もちろん本当。二十五歳に結婚するのが夢です。二十五はボクの家族のマジック・ナンバー。お父さんもお母さんも二十五歳の時に結婚しました。父方の兄と妹も二十五。祖父ちゃんも祖母ちゃんも二十五。曾祖父ちゃんも曾祖母ちゃんも二十五。その日にどんなことがあっても来てね。ボクもなにがあっても行きます」
「万難を排して行きます」
「十年後の話し。忘れないで」
「忘れるはずがないでしょう。真さんのことは一生忘れないわ」
「約束」
「約束」
 二人は固く誓った。

 午後十一時四十五分
 JR新宿駅へ全力で疾走する人がいる。最終電車の時間が近づいてきた。帰宅するための最終電車に間に合うように急いでいる。
 黒花はゆっくりと駅に向かった。最終電車は12:15。十分時間がある。慌てることはない。出雲にすっぽかされたけど、それほど落胆していない自分にびっくり。愛情は無常、人生は虚無。二十五歳にもなれば、多少わかるようになったかもしれない。これからは出雲のことを忘れて、一から再出発する。
 アメリカで仕事をしている黒花はこの日のためにわざわざ休暇を取って、日本に戻ってきた。友人の家に泊めてもらっている。約束をきっちりと果たした。もうなにも思い残すことはない。出雲との関係は重要な青春の一ページだが、ページはめくられた。人生の新たなページが開かれた。

 黒花が中学校を卒業した年にお父さんが人事異動で北海道に配属された。約束した通りに黒花は夏休みに東京に来た。出雲は春休みに北海道に行った。
 その後、防衛大学卒のお父さんはワシントンにある日本大使館の駐在武官になり、黒花は家族と渡米した。高校を卒業した年にお父さんの人事異動で家族が日本に戻ったが、黒花はアメリカの大学に入った。黒花が日本に帰省した時はかならず出雲に会いに行った。
 二人はずっと文通をしていた。大学一年の時に突然予兆もなく出雲からの手紙が途絶えた。元同級生によると、出雲のお父さんが経営していた会社が倒産した。家族を連れて夜逃げをして姿をくらました。
 夏休みに黒花が日本に戻った時は出雲の家まで行って見た。出雲家の居場所を知っている隣人や元同級生はいなかった。七夕の日は必ず紀伊國屋の前で出雲を待っていた。国際電話はまだ高かった時だが、コレクト・コールもかけられた。どうして電話して来なかったのか、と黒花は苛立たれていた。
 音信不通の出雲を探し続けていたけど、すべてが徒労に終わった。二十五歳の約束を忘れられない黒花は文字通り万難を排して紀伊國屋に行った。期待と不安が入り混じりながらこの日を迎えた。

 自動販売機から切符を買った黒花は振り返ってもう一度紀伊國屋への方向を見た。サヨナラ、と心の中で言った。
 黒花は過去に別れを告げるように改札口に向かった。
「真さんッ!」
 叫びを聞いた黒花がドキッとして振り返った。目の前に出雲が立っている。昔のままの出雲が面前にいる。清楚なイメージ。シンプルでありながらエレガントな着こなし。眩しい笑顔。十年前と全然かららない。
 走ってきた出雲はハアハア息切れしている。「遅くなってごめんなさい。車で来ました。途中で車が故障しました。本当に焦りましたわ。駅の方向へ歩いて行った真さんを見ました。間に合ってよかった」
 黒花は出雲の突然の出現に我を失ってしまった。聞きたいことや話したいことは山ほどあるのだけれども、千言万語、なにから始めたらいいのか分からない。深夜近くなっても、騒音が止まらないJR新宿駅改札前。一瞬、周りに嘘のような静寂が訪れたような感じがした。二人は見つめ合っている。再会を誓ったことが二人の脳裏に蘇る。永遠のような沈黙が流れている。時間が止まっている。黒花と出雲は誰にも入る余地のない空間の中で、二人だけの世界に浸っている。
 待ってくれる、と信じていた。
 来る、と信じていた。だから最後まで待っていた。
たとえ天変地異が起きても、二人の愛は永遠に。以心伝心を感じた瞬間、二人は同時に顔を綻ばせて微笑んだ。