低価格の仕事を一つ決めてきた十文字はほっとした。ホームランのような大きい仕事でなくても、内野安打でも精神安定剤になる。ホームランは打ちたくても打てるものではないので、内野安打でも頻繁に打てば貢献になる。そう思うと、楽になった十文字は桂城に仕事を取ったことを報告した。
「よかった。よかった」桂城が自分のことのように喜ぶ。
「ありがとうございます」十文字は感謝している。桂城の励ましと支えがなければ精神的に参っていたかもしれない。
「これからも頑張ってください」桂城は十文字を見ると、ママさんが言ったことを思い出す。好きな女性なら相手の国籍や年齢を忘れること。だが、桂城は若い十文字のことを意識するようになってから、前のように部長として自然な形で誘えなくなった。
「部長、お昼に行きません」十文字が腕時計を見た。
「ああ 。 。 。 行きましょう」桂城が周りを見回した。幸い皆も出ていってしまった。
二人は例のレストランへ行って、例のパスタを頼んだ。
「この前の飲み会はどうだった」桂城が十文字の顔を見た。前より表情がいきいきする。仕事がもう少し順調に行けば、本来の明るい性格に戻るに違いない。
「楽しかったわよ。今度来てくださいね」十文字は来る度胸がありますか、と挑むよう眼差しを送った。
「若い人の飲み会には行きません」桂城がきっぱりと言った。
「若い人たちといっしょにいれば、若くなるわよ」十文字が反応を窺うように目を細めた。
「過去を取り戻すつもりはありません」桂城は苦笑い交じりの口調で言った。確かに若い人といれば、気が若くなる。大学の先生が若く見えるのは、いつも息子や娘と同じ年齢の人たちといるからだ。自分は違う世界にいる。無理して若返りしたくない。無理すると逆効果になる。
「集団活動は嫌いですか」
「そうじゃないけど」
「どうして来ないですか」
「知らない人と行っても面白くない」
「じゃあ、私たちだけで飲みに行きますか」十文字は行く勇気はありますか、というような口調で言った。
いまの若い人は積極的。やっぱり世代が違う。世の中が変わった。年齢差を感じさせられるが、積極的にならなければ、とママさんの言うことが頭に浮かんだ。十文字に会った瞬間に運命的なものを感じた。十文字も運命の糸に導かれているようだ。これは天意だろうか。
「土曜日に行きましょうか」
「いいわよ」十文字が心も体も躍るような感じになった。
土曜にいっしょに飲みに行ってから、十文字と桂城は仕事終了後、自然といっしょに駅まで同行するようになった。会社の人の目を避けて、駅から少し離れたレストランで食事をすることもあるし、ちょっと電車に乗って渋谷や銀座まで出かけることもある。週末は十文字が桂城のアパートで過ごす時が多くなった。
自然の成り行きに任せて、二人の仲が進展していくのが桂城は嬉しい。桂城は男女関係は駆け引きなしに、自然に育っていくことが理想だ、と子供の時から思っていた。十文字とは言葉を交わさなくても、以心伝心でお互いの気持ちがよく分かる。これは桂城が夢にまで見ていた境地。
十文字は桂城といると、初恋をした時のように胸がときめきする。年の差を意識したことがないし、感じたこともない。桂城と二人でいる時は純粋に二人の人間の付き合い。地位も年も関係ない。素直な気持ちになれる。
すべてが順調に行っているが、十文字の両親に挨拶に行かなければならない段階になると、桂城は急に年齢差を意識して、足がすくんでしまう。十文字といっしょなら年の差は感じないけど、十文字の親に会うことになると、年齢のことはいやでも脳裏を掠める。
「これは避けて通れることじゃないでしょう」両親に会おうとしない桂城を十文字が窘めるような口調で言った。
「分かっています」桂城が苦虫を噛みつぶしたような顔をした。行かなければならないが、勇気が湧いて来ない。
「分かっているなら予定を立てます」十文字が桂城の顔を覗いた。
「もう少し経ってからでもいい」桂城は運命の対面を少しでも後に伸ばそうとした。
「この前も同じことを言ったじゃないの」十文字がイライラしてきた。
「分かった。亜佐美ちゃんのために行きます」桂城が覚悟したような顔をした。
「ありがとう」十文字は桂城の気持ちがよく分かるが、行かなければ前進しない。進展しない関係は将来がない。
「いつにします」桂城が渋々承知した。
「じゃあ、こうしましょう」十文字は急に不安になった桂城が不憫に思った。「まずお母さんに会って。それからお父さんに会いましょう。お母さんはいつも私の意見を尊重します。反対される心配はないわ。お母さんを味方にして、それからお父さんに会いに行けば心強いでしょう」
「そうしてください」桂城がほっとした。一遍に二人に会うよりも、お母さんに先に会うほうがやりやすい。
「じゃあ、予定を立てますね」十文字にやっと笑顔も戻った。
ホテルに入った桂城はすぐにトイレットに行って、鏡の前でネクタイをちょっと直した。温度が高くないのに額に汗が滲んでいる。これから十文字のお母さんと面会する。考えただけで緊張して胃が縮みそう。こんなに神経が高ぶるのは初デート以来ではないか、と桂城が鏡の中の蒼白な顔を見つめている。白髪はまだないが、目尻の皺が気になる。額の汗を拭いてから、桂城は手を濡らして髪の毛を整えた。十文字のお母さんにいい印象を与えなければ、とゆっくりと二、三回深呼吸をした。
テレビに出る年齢差の夫婦も、年上のほうが結婚前にこんなに緊張して恋人の親にあうのだろうか、と桂城が不思議がっている。深呼吸をしてから、桂城は自分を奮い立たせるように頬を二、三回叩いてからトイレットを出た。
ホテルの喫茶店は土曜日にしてはお客さんが少ない。桂城が喫茶店に入ると、すぐに窓際に座っている十文字とお母さんを認めた。二人は入口に向かっての席についている。桂城は胸がどきどきしながら近づいていく。
桂城に気づいた十文字が立ち上がった。お母さんもつられて起立した。二人の前に立ち止まった桂城は唖然として十文字のお母さんをまじまじと見つめている。お母さんも呆然とした虚脱の状態で桂城を凝視している。二人とも一瞬、時の流れが止まったように感じたぐらいの衝撃を受けた。
異様な雰囲気を感じ取った十文字は二人を交互に見た。「知り合いですか」
「よかった。よかった」桂城が自分のことのように喜ぶ。
「ありがとうございます」十文字は感謝している。桂城の励ましと支えがなければ精神的に参っていたかもしれない。
「これからも頑張ってください」桂城は十文字を見ると、ママさんが言ったことを思い出す。好きな女性なら相手の国籍や年齢を忘れること。だが、桂城は若い十文字のことを意識するようになってから、前のように部長として自然な形で誘えなくなった。
「部長、お昼に行きません」十文字が腕時計を見た。
「ああ 。 。 。 行きましょう」桂城が周りを見回した。幸い皆も出ていってしまった。
二人は例のレストランへ行って、例のパスタを頼んだ。
「この前の飲み会はどうだった」桂城が十文字の顔を見た。前より表情がいきいきする。仕事がもう少し順調に行けば、本来の明るい性格に戻るに違いない。
「楽しかったわよ。今度来てくださいね」十文字は来る度胸がありますか、と挑むよう眼差しを送った。
「若い人の飲み会には行きません」桂城がきっぱりと言った。
「若い人たちといっしょにいれば、若くなるわよ」十文字が反応を窺うように目を細めた。
「過去を取り戻すつもりはありません」桂城は苦笑い交じりの口調で言った。確かに若い人といれば、気が若くなる。大学の先生が若く見えるのは、いつも息子や娘と同じ年齢の人たちといるからだ。自分は違う世界にいる。無理して若返りしたくない。無理すると逆効果になる。
「集団活動は嫌いですか」
「そうじゃないけど」
「どうして来ないですか」
「知らない人と行っても面白くない」
「じゃあ、私たちだけで飲みに行きますか」十文字は行く勇気はありますか、というような口調で言った。
いまの若い人は積極的。やっぱり世代が違う。世の中が変わった。年齢差を感じさせられるが、積極的にならなければ、とママさんの言うことが頭に浮かんだ。十文字に会った瞬間に運命的なものを感じた。十文字も運命の糸に導かれているようだ。これは天意だろうか。
「土曜日に行きましょうか」
「いいわよ」十文字が心も体も躍るような感じになった。
土曜にいっしょに飲みに行ってから、十文字と桂城は仕事終了後、自然といっしょに駅まで同行するようになった。会社の人の目を避けて、駅から少し離れたレストランで食事をすることもあるし、ちょっと電車に乗って渋谷や銀座まで出かけることもある。週末は十文字が桂城のアパートで過ごす時が多くなった。
自然の成り行きに任せて、二人の仲が進展していくのが桂城は嬉しい。桂城は男女関係は駆け引きなしに、自然に育っていくことが理想だ、と子供の時から思っていた。十文字とは言葉を交わさなくても、以心伝心でお互いの気持ちがよく分かる。これは桂城が夢にまで見ていた境地。
十文字は桂城といると、初恋をした時のように胸がときめきする。年の差を意識したことがないし、感じたこともない。桂城と二人でいる時は純粋に二人の人間の付き合い。地位も年も関係ない。素直な気持ちになれる。
すべてが順調に行っているが、十文字の両親に挨拶に行かなければならない段階になると、桂城は急に年齢差を意識して、足がすくんでしまう。十文字といっしょなら年の差は感じないけど、十文字の親に会うことになると、年齢のことはいやでも脳裏を掠める。
「これは避けて通れることじゃないでしょう」両親に会おうとしない桂城を十文字が窘めるような口調で言った。
「分かっています」桂城が苦虫を噛みつぶしたような顔をした。行かなければならないが、勇気が湧いて来ない。
「分かっているなら予定を立てます」十文字が桂城の顔を覗いた。
「もう少し経ってからでもいい」桂城は運命の対面を少しでも後に伸ばそうとした。
「この前も同じことを言ったじゃないの」十文字がイライラしてきた。
「分かった。亜佐美ちゃんのために行きます」桂城が覚悟したような顔をした。
「ありがとう」十文字は桂城の気持ちがよく分かるが、行かなければ前進しない。進展しない関係は将来がない。
「いつにします」桂城が渋々承知した。
「じゃあ、こうしましょう」十文字は急に不安になった桂城が不憫に思った。「まずお母さんに会って。それからお父さんに会いましょう。お母さんはいつも私の意見を尊重します。反対される心配はないわ。お母さんを味方にして、それからお父さんに会いに行けば心強いでしょう」
「そうしてください」桂城がほっとした。一遍に二人に会うよりも、お母さんに先に会うほうがやりやすい。
「じゃあ、予定を立てますね」十文字にやっと笑顔も戻った。
ホテルに入った桂城はすぐにトイレットに行って、鏡の前でネクタイをちょっと直した。温度が高くないのに額に汗が滲んでいる。これから十文字のお母さんと面会する。考えただけで緊張して胃が縮みそう。こんなに神経が高ぶるのは初デート以来ではないか、と桂城が鏡の中の蒼白な顔を見つめている。白髪はまだないが、目尻の皺が気になる。額の汗を拭いてから、桂城は手を濡らして髪の毛を整えた。十文字のお母さんにいい印象を与えなければ、とゆっくりと二、三回深呼吸をした。
テレビに出る年齢差の夫婦も、年上のほうが結婚前にこんなに緊張して恋人の親にあうのだろうか、と桂城が不思議がっている。深呼吸をしてから、桂城は自分を奮い立たせるように頬を二、三回叩いてからトイレットを出た。
ホテルの喫茶店は土曜日にしてはお客さんが少ない。桂城が喫茶店に入ると、すぐに窓際に座っている十文字とお母さんを認めた。二人は入口に向かっての席についている。桂城は胸がどきどきしながら近づいていく。
桂城に気づいた十文字が立ち上がった。お母さんもつられて起立した。二人の前に立ち止まった桂城は唖然として十文字のお母さんをまじまじと見つめている。お母さんも呆然とした虚脱の状態で桂城を凝視している。二人とも一瞬、時の流れが止まったように感じたぐらいの衝撃を受けた。
異様な雰囲気を感じ取った十文字は二人を交互に見た。「知り合いですか」
