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美術室。
絵具の臭いが充満する部屋で、二人一組男女で向かい合い、絵を描く。
私とペアの男は昨夜ゲームのしすぎで寝てないとかで欠伸を連発しており、成程目の下の隈が濃い。
寝癖の目立つその髪を、凡庸なその顔を筆で描いていく。
私も人のことは言えないが。
彼の特徴と言えば目尻の黒子と、けして似非ではないと本人が言う灰眼。
終始「めんどくせえー」とぼやく彼にも、あの男のように軸がブれる時があるのだろうか。
思春期の時は特にそのことしか考えてないとかどこかで聞いたことがある。
……思いだすと手が止まってしまう。
いけないいけない。
ふう、とキャンバスに息を吐いて思考を逸らす。
学校に居る時ぐらいは、愚考は避けたいから。
油絵でぬりたぐったキャンバスはまだ乾いておらずイーゼルにたてかけたまま。
直接キャンバスをよこせと言ってきたこいつはバカなのか「触れた拍子に手が汚れたらどうすんの」と言う私に「ああ…」と瞼をこすりこすり呟き、
「……へえ」
欠伸一つこぼしてから。
よほど気になったのか、傍まで来てキャンバスを覗きこみ、そう言った。
「つまんねえな」
「……でしょうねえ」
頭上から降ってくる声にそのまま返答。
「もうちょっとさあ…」
と、言いかけて男子は嘆息。
見たら見たで満足だろうに…早く席戻ってくれないかな。
背後に立っているだけなのにその気配が妙に重い。
私は授業というものに基本。
手抜きもしなければ本腰も入れない。
キャンバスに描いたパートナーは文字通り「眠そうな顔」。
とはいっても顔色も悪くなければ別段普通だ。
ただ寝癖と目の下の隈を忠実に再現しただけで。
どうやらそれが不服だったらしい。
こいつだってどうせ、半分寝てる頭で私を描いたんだろうからそこのところは妥協してくれればいいのに。
いわゆる「かっこよさ」を求めたのか。
自称「元から」の灰眼を描いたんだからいいじゃないの。
「……ごめんなさいね。私、あんまり絵、巧くないの。」
おざなりに謝るとパートナーも投げやりに返しやはり眠いのか欠伸混じりに席へ戻った。
あなたの顔が素敵すぎてあまり見れなかったの。
うふっ。
…自惚れ屋らしいこの男には、ただ単に自分の技術を謙遜するのでなくて、そう言えば良かったのか。
椅子に座ったパートナーは筆を逆さまに持ちその管先で頭を掻いている。
突っ込みたい所だけどその顔がぶすっとしているのでやめた。
一日だけとはいえ絵は形として残るから。
彼は、私に「巧さ」を求めていたのだろうか。
イメージだけで申し訳ないけどあんたの才能も非凡では?
不満をぶつけるなら「席順通り」とか言った美術担当に言え!
そもそもそこまで自分の絵に自信があるなら、私の顔も見せて貰おうじゃないか。
立ち上がり「見せて」と言おうとしたその時、教室の隅で女子の悲鳴が上がった。
頭を掻いていた男の手がピタリと止まり、ダルそうに声のした方を見る。
私もつられて視線を向ける――人でも動物でも本能的に何か違う音や気配がしたらそちらに注意が引き寄せられるという、それは危機回避能力だかの一部でごく当たり前のことだと聞いたが――私含めいくつもの視線を集める3人がいた。
正しく言えば場所だ、が。
それぞれキャンパスを前に向かい合って椅子に座る男女一組、男側の方でキャンパスを覗き込む女子一名。
女子はおそらく自分たちの課題が終わって、暇つぶしついでに他ペアの作品を観ていたのだろう。
周囲を見れば、座り主のない椅子の真向かいで机に突っ伏している男子がいる。
視線を戻すと盗み見した女子は口元に両手をやり、その目は見開かれ俄かに頬が紅潮していた。
彼女の視線の先は男のキャンパス。
描いた男子の方も頬が赤くなっているようだが、後頭部を掻いている様からして照れ隠ししている…?
丸い胴体に乗っているように見えるふっくらと饅頭のように膨れたその顔はどこか誇らしげにも見える。
「よ、よく描けてるだろ……?」
クラスの女子からは総スカンをくらい男子からはからかいの的とされる彼に、描人としての才能でもあったのだろうか。
しかし彼のパートナーである筈の女子生徒は頭をたれたまま。
微塵も嬉しそうではない。
様子が変だ。
私は要らぬ厄介事には首を突っ込まない主義だが、このクラスではそういう事勿れ主義派は少ないらしい。
好奇心旺盛な若者が何人か席を立った。
美術教員の制止が聴こえたような気もするが、彼女の声よりも騒ぐ生徒の声の方が、
「……うっわ」
「マジかよ…」