花と緑。
自然豊かな聖ルリフェン王国。
広い回廊を軽やかにステップを踏みながら歩く。
今日も良い青空だった。
柔らかな春の陽ざしに目覚めて、青い空を見た私は、気分が良かった。
なんとなくだけど、今日もいいことありそう。
「リディア様、おはようございます!」
ドアを開ける。
開けた先には、私の大好きな人。
私の恩人。
可愛い妹…といっちゃ、失礼か。
「…ヴァニラちゃん」
他のメイドがその綺麗な金髪をブラシで梳いている。
鏡を向いていたその顔が、気づいてこちらに向く。
「おはよう」
ああ、今日も素敵な笑顔。
その笑顔を見るだけで、私は幸せ。
「じゃ…もういいわ」
ブラシを持っていたメイドに言う。
その子はすぐさまブラシを鏡台の上に置くと、リディア様に一礼した。
……私の横を通る際、メイドがどこか恨んだ眼差しで私を見た。
「………」
しょうがない。
苦笑。
だって、私はまだ新参者だから。
リディア様を慕う人は多い。
だから誰もが、専属メイドになりたいと思ってる。
でも、今までリディア様は1人もつけないで……、なのに、私を専属のメイドにした。
会って間もない私を、直属の騎士達の反対を押し切って。
私は下働きだった。
何人もいるメイドさんの、一番下の位で、よくいえばメイドの誰もが通る道、悪く言えば、恵まれないメイドがずっとする重労働。
広い回廊を、ひたすら雑巾がけ。
機嫌の悪いメイドや執事、騎士達に、彼らが苛々している際、バケツの水を流されたりするのが必ず一日一回はある、そうするととてもじゃないけど一日じゃ終わらない労働。(そもそも広い城内全ての廊下を1日で雑巾がけなんて無理に決まってる)
…あの日も、そう。
倒されたバケツが零した水の後を必死に拭いていたら誰かの足が視界に入って、顔を上げると、それまで噂でしか知らなかったお姫様がいた。
「…ヴァニラちゃん」
大きなクローゼットから本日のドレスを選んでいると、遠慮がちに声がかかった。
当時、リディア様は私が年上だと知った際、「ヴァニラさん」と呼んだ。
でも、いくら年下でも姫は姫。
さんと呼ばせるなんて……、それで「呼び捨てで構いません」と返したら、ちゃんになった。
「はい?」
振り返ると。
「………」
リディア様は俯いていた。
膝上の小さな両手は、ネグリジェの裾を握りしめている。
私と同じく小柄なリディア様。
でも、胸元の膨らみは私のほうが豊か。
どうせなら上に成長してほしかった。
反対にリディア様の胸は体に似合って、緩やかなカーブを描いている。
いいなーって、いつも、思う。
だって、胸、大きくても、いいこと一つもないもん。
重いし蒸れるし肩はるし、男の目線がうざいしetc。
「………」
それよりも。
リディア様、なんだか様子が変だ。
「リディア様?」
クローゼットを閉めて、近づく。
近づいて……驚いた。
「! リディア様っ」
すぐさま、メイドドレスのポケットからハンカチを出し、差し出……
「……大丈夫よ。大丈夫…」
ハンカチを差し出す私の手を、リディア様は首を振りながら押し返した。
その綺麗な横顔に、涙が流れていた。
そのつぶらな瞳を、大粒の涙が濡らしていた。
朝から、それも突然泣き出すなんて。
おかしい。
「…何か…あったのですか?」
おそるおそる尋ねると、リディア様はご自身の手で、儚げな、折れそうなその手で涙を拭いながら、
「明後日…私、結婚するの……」
「…え?」
「隣の大陸……の、王子が、私を気に入ったって……」
「そんな…い、イルクさん達…は?」
「彼らは護衛のためだけにいるのよ。何も言えないわ…」
両手で顔を覆うリディア様。
リディア様の両親は、リディア様が幼少の時に死んでしまった。
残ったのは幼い頃から仕える騎士……と、も1人途中から抜擢された騎士と、その他多くの従者たち。
みんな、辞めてもよかったのに、両親がいなくなっても私のために城にいてくれたとリディア様は言っていた。
涙を流して、嬉しそうにそう語ったリディア様。
…その時に、皆が城を離れない理由がわかった気がした。
みんな、リディア様が大好きなんだ……。
もちろん私だって。
なのに、いきなり結婚だなんて。
いや、一国の姫である以上、いつかくるかもとは思っていたけど。
「ど…どうしたら」
慌てふためく私に、リディア様は静かな声で「いいのよ…。あなたが気にすることないわ」。
「…ですが」
「ヴァニラちゃん。これは…あなただけに話したことだから。他の人には、言わないでね」
「リディア様…」
「明後日…1人で行くつもりなんだけど。脱走…協力してほしいの。あなた以外の人には頼めないから。お願い」
「……はい」
主の詞に、とりあえず私はうなずくしかなかった。
なんとかしたい…! と思っていたけど、何もいい案が見つからないで。
「……。リディア様」
「ごめんなさい。涙…止まるまで、そばにいてくれるかな?」
「……」