とは言っても、現実問題無理なのだ。
菫でさえ届かないのに、(推定)180センチ近くある男の顔をはたくなど。
彼の方から身を屈ませて顔を近づけてくれないとできない。
そして急にそんなことしろと言われてもする訳ないし、不自然だし。
イライラとモヤモヤとムカムカと。
全部を一心にブックカバー作成へと降り注ぎ、木曜日は歯磨きをしてすぐ部屋に閉じこもった。
内鍵さえしておけば。
静かな部屋では、外の小鳥の鳴き声が聴こえてくるだけで。
ひたすら針と布を持って。
俯いて。
ひたすら。
ちくちくちくちく。
チクチクチクチク。
時計の針の動きなんて気にならなかった。
日の傾きなんて。
尿意を限界まで我慢して、ついにもう駄目だというところで手を止めた。
しおり代わりに使う紐の先にボタンを留めてるところだった。
説明書は簡単な説明だけだから、これで正しいのかはわからないけど、落ちなきゃいいんでしょ、落ちなきゃ。
ただの長方形だった布も、縫い線は歪でガタガタだけど、一応ブックカバーの形となって今はテーブルの上に並べて置いてある。
よし、トイレから戻ったら柄となる家を縫いつけよう。
なんかアイロン使って屋根の部分はくっつけるみたいだけど、危ないから手でやるとして。
「ととと、とりあえずトイレ~…っ」
鍵を開けて引き戸を開けると。
「あっ」
「……やっと出ましたね」
そこには憎き執事の姿が。
盆を持っている彼は私の顔を見るなり溜息一つして。
「不服ですが仮にも栗山家の者なので。昼食をご用意しました」
失礼します、と部屋に入ってこようとしたからすかさず「いらないっ!」と断った。
自分でも驚くぐらい声が大きくなっちゃったのは、たぶんトイレが近いからで。
「あっ、あのね、変な意味じゃなくて、今集中してやってることがあるから、いりません! お昼とか食べたら時間がもったいないし……バリスさんの気持ちは本当にうれしい! もうね、本当にね、助かるよ! でもね、あの、今日はいらないから!」
どいて、と言ってもなかなかどかなかったが、恥をすててトイレ(下)なの!と騒ぎたてると道を開けてくれた。
「ああ、ありがとー!」
もしかしてドアの前でずっと待機していたのか。
だとしたら珍しく仕事したじゃないか。
いや、今はそんなことより……トイレ!

いやぁ、それにしても。
尿意を忘れるほどの集中力は自分でもちょっと怖く思うかも。
最悪の事態になったら大変だし、ここらでちょっと肩の力抜いておこう。
でもあと少しなんだ。
頑張れば今日中には終わらせられるかもしれない。
途中、車椅子を止めて腕を伸ばしたりしながら部屋へ帰ると。
「?」
中央に一つ置かれたテーブルの上には、先ほどルカ・ヴァリスが持っていた盆が置かれていて。
悪いけど料理については一切目が向かなかった。
それよりもだ。
テーブルの上にあったブックカバーのキットは。
どこへ……?
端の方に申し訳なさげに寄せられてるとかそんなことはなく。
何気なく部屋中をぐるりと見回して、視界に入ったごみ箱。
いやいやまさか。
でも、嫌がらせの一環でやりかねない。
半信半疑、覗いてみると……。
「!」
あった。
私の作品、が。
こんな。
他の紙くずと同じように。
ぽん、と。
ティッシュや床の埃と一緒に。
ぽい、と。
棄 て ら れ て い た。
「(………ルカ・ヴァリス………)」
ゴミ箱の横に車椅子を止めて。
震える腕を伸ばして手に取る。
説明書はもういいや。
あとは家の部分だけ。
屋根の形に切り取った布としおり部分のボタンがついた紐とブックカバー本体と。
それらを握り締めて、拾い上げる。
怒りで震える体を叱咤した。
落ちつけ。
まだ、まだだ。
まだ怒っちゃ駄目。
全部完成させてから。
終わらせてから……、一言、文句を! 言ってやる!

最後に玉留めをして糸を切る。
「ぃよしっ…! かんせーい」
ブックカバーの形に縫う→しおりを作る→家を縫う→しおりを縫いつける……という、途中しおりを二段階に分ける必要ないんじゃない? と思うような作り方だったけど。
屋根と家の部分がズレてるなんて気にしない。
それよりも中央部分に刺繍できたんだからいいじゃない。
完成した黄色い可愛いブックカバーに軽くキスをした。
これブックカバー・ミニバッグ・フリーケースの中から選んで作るキットで、手作りの喜びや楽しさによって心を癒すセラピー……すなわちクラフトセラピーという名前の会社が作ったらしかった。
手芸店では売れ残ったのか、セール品扱いだったけど。
とても素敵なもの。
「(もう何個か買えば良かったかも……他のも作ってみたかったなぁ)」
私は自慢できるほどに家庭科の出来が悪い。
だからただの波縫いでもガタガタで、縫い作業が主の今作品は見た目こそひどい出来だが。
本読んでもいないのにブックカバー作るなんて馬鹿かもしれないけど。
(読むとしても漫画。これは文庫本の大きさだからコミックの大きさには合わない)
ブックカバーを掲げて見て。
テーブルの上に置いて瞼の上をマッサージ。
糸を抜いて針を裁縫道具箱にしまおうとしたところで、ノック音がした。
壁時計を見る、まだパパもママも菫も帰らない時間。
相手が誰だかわかったところで、気にせず引き出しの道具箱をとり、針を仕舞う。
引き出しをしめて、糸をゴミ箱にすてたところで、鍵のおりる音がした。
「!? (内鍵閉めたのに開いた…!?)」