時真学園は由緒ある名門の女子学校。
生徒も教職員も敷地内に用意された寮に住み(使用人のみ同居可)その校則は他よりも厳しいらしい……。
「(っていうか教育観念? とやらに身も心も清らかな淑女[レディ]を育てるなんちゃらを掲げているなんて……)」
今時そんな学園あるかい! ……いや、ちはやちゃんに借りた漫画の中に舞台としてあったような。
そして殆どの生徒が校則破りで執事とウフフ(はあと)な事を、
「だああっ!! 一体どこにあるんだ!? 懲手室は!」
ついに苛々が頂点に達した私は持っていた紙束をレッドカーペットの上に叩きつける…一息吐いて自分で拾う。
虚しいことこの上ないがこんな怪しい名前の部屋行きたくない! …けど、学園長の指示だ、仕方ない!
だけどこの地図っ……この複雑迷路のような細かな図面をどう進めと!?
『東條さんから大体のお話は伺ってるわ。私から話すことはその紙に書いてあるから、あとは懲手室の方へ向かってくれる?』
『ちょう…しゅ?』
『ちなみに聴取じゃないわよ。行けば解るから』
『……はい』
字を見て驚いた。
去りぎわに頑張ってねとの声が聞こえたような気がしたんだけど気のせいじゃないかもしれない。
「すみません」
不意に後ろから声を掛けられた。
体を少しひねって振り返ると、ボタンを留めてない白衣の裾をはためかせながら男が歩み寄ってきた。
「勘違いでしたら申し訳ないのですがもしや貴女は七海みゆさんではないですか?」
スラックスまでもが白。
白衣の下は深緑色のシャツに山吹色のネクタイを締めている。
どキツい組み合わせだけど白衣と白いスラックスは久登さんを思い起こさせた。
「そうですけど…」
ここは林檎ちゃんの通ってる学校だし、第一このお兄さんやんわりと人の良さそうな笑み浮かべるし大丈夫だろうと素直に答えた。
人違いですと言っても、この時間生徒はここを歩いていないだろうし。
むやみに名乗るなと、前に誰かに言われたような気がしたけれどそんな心配することないだろう。

複雑迷路通りのごちゃごちゃな道なりをゆくこと30分後、目的地に着いた。
壁のプレートには血が滴るようなホラーよろしくの独特の文字で懲手室と書かれている。
いっ…イヤな予感……。
「あっ私用事が…」
くるりと体を回転させ足を前に出そうとしたが、しかし腕を掴まれてて行けない。
「どこへ行かれるんですか?」
背中でかかる声にクラウスさんを思い出……死亡フラグだこれは完璧に!!

デスクの上には二枚重ねた紙とキャップの閉じられたペンが転がってる。
少し前に蒸し暑いですねと言った彼は、立ち上がり部屋のエアコンの電源を入れた。
暦では秋が深まりつつある。
今日はわりと風も吹かず穏やかな日だから外で遊んだりしてると暑く感じる子供もいるかもしれない。
外……嗚呼私もどこでもいい!
ここを飛び出したい!
「おや…? また脈拍数が上がりましたね」
目をきゅっと閉じていても近付いた顔は気配で分かった。
横を向くと首にぴちゃりと音を立てて舌が触れる。
肌が粟立つ――助けてお母さんっ…!
「今、名を呼びましたね? …誰に助けを求めたんです?」
左胸を掴んでた手に力が込められて耐え切れず口を開いた。
「っ母です…!!」
開けた視界いっぱいに薄い茶色の瞳が広がる――この人眼鏡外してるのか――なんて綺麗な瞳……。
「ふむ。強ち嘘ではない、か…」
離れた顔にほっとするも、肌に貼り付いた手は離れない。
簡単な質疑応答で終わるかと思ったら冗談じゃない!
林檎ちゃんにも車の中で触られたのに、この男にまで体触られるとは……屈辱…っ!
「……どう見てもエロゲです。本当にありがとうございました」
綺麗な眼だけどやっぱりクラウスさんと同じで怖い。
顔を逸らして薄笑いを浮かべる。
人は極限状態に陥ると、現実逃避するという。
「エロ? …何を言っているのか解りませんが、素直にお話して頂ければすぐにも解放しますよ」
「東條林檎とは三枝木馨を通じて出会いました。三枝木馨とは道端で偶然会いました」
ここまでは本当のことだ。
呪文のように平淡な口調で何度も繰り返す。
絶対に、
「それだけです。久登という名もクラウスという名も今ここで初めて聞きました」
二人に迷惑をかける訳にはいかない…!
車の中で見た久登さんの心配そうな顔を思いだし、心に強く言い聞かす。
血圧と脈拍数を測って、喉奥見せて心臓と肺の音聴いて貰って、……普通の内科検診のような診療だった。
下の下着以外上半身は裸というのは、この服前ボタンなのにどうしてと、抵抗があったけど仕方ない。
とてもリラックスとした場で私は訊いたのだ。
ここは保健室なんですか? 男は首を振った。
医務室などではありません、ここは懲手室ですよ――と。
生徒の為に医療看護する部屋は別途あるのだと。
「(教師生徒関係なくこの学園に今後与する者は第一にここへ入ると聞いた…謂わばここは、)」
取調室だ。
学園に敵意を持っていないか脅威の存在でないか調べられる。
今私は変な気持ちだ。
まるで自分が犯罪者であるかのような、非常に馬鹿げたことであるが、
「現段階で中等部、東條林檎の従者は久登となっています。クラウスは他校の女子生徒に仕えている」
唇の端をつり上げて男がどうでもいい情報を聞かせてくる。
また強く胸を掴まれたらどうしようと思ったが今は力が弱まり覆い被せてあるだけ。
それでもジンジンと痛む。
男の手のひらと自分の肌と接触してる部分がうっすらと汗ばみ気持ち悪い。
「彼の態度を見るに貴女と接点があったのは確か。今は他人だから貴女はシラをきるのかそれとも守ろうとしているのか全く解せませんが…まぁ私には別に関係のないことです」
それならそうと早く手を放せ! 噛み付きたい衝動を耐える。
こんなに痛いんだもの。
こりゃ絶対、痕が残る! ヒドイ!
「………」
見下ろす視界の中で男の片方の手が右胸に触れる。
しかしすぐに離れ、左胸の先端を強く抓まれた。
声が出そうになったが唇を強く噛んで耐える。
「片方だけ反応があるというのも、やはりつまらないものですね」
「……(この悪趣味変態野郎が……)」
「そう怖い顔しなくても。お詫びにいいことを教えて上げますよ」

手伝うと言う男の言葉を振り切り、ひとりで着替える。
キャミソールとワンピース、どちらもかぶりだったからある意味で助かった。
ただ袖が長いから右腕を通す時は苦労したが(みかねて男が手を出してきた)。
「おめでとうございます。合格です」
「……あまり嬉しくないわ…」
「まぁそう言わずに」
眼鏡を装着した男はにこりと笑んだ。
「…それで私はこの後どうしたら?」
「書架に行って構いませんよ。遅れてすまないとアヴィーに伝えて下さい」
鞄を肩にかけ、ドアまで向かう。
「……失礼しました」
「あ、そうそう」
ドアに手をかけたところで声が掛かり私は振り向く。
「二人について訊きたいことがありましたらいつでもいらして下さい。私の知る限りですがお教えします」
「……知らない他人の情報を貰っても困惑するだけなので要りません。それに私は本人の口から聞いた言葉以外は信じませんから」
ふふっと背中で笑い声がした。
「そうですか。仮に本人に話す機会があるとしても、あの動揺ぶりでは確かめられるか分かりませんが」
手をかけるとばんっと勢いよくドアを開く。
今ばかりは怒りに身を任せて乱暴にやってしまった。
「余計なお世話です…!」

ドアノックを二回叩くと木製の扉が開く。
「!」
「お待ちしておりましたしたわ。中へどうぞ」
出迎えてくれたのは同じ黒い衣に身を包んだグラマーな女性。
久登さんより薄いスカイブルーの眼をしている。
「着て下さったのですわすわね。サイズは大丈夫でしたか?」
「はい……。あの、これは貴女が?」
「ええ。お似合いですわすわよ」
「…それはどうも」
……口調、についてはあえて突っ込まないとして。
この服、仕事着みたいなものだろうか。
「わぁ…」
中へ踏み入ると思わず感嘆の息が洩れた。
壁と天井床以外全てが総ガラス張りで、床は大理石のような綺麗な石が敷き詰められていて天井まで届くかと思うぐらいの、うんと高い書架。
「一度ドアを閉めてしまえば中から外は見えてもあちらからこちらを見ることは出来ない。そういう構造ですですの」
「……」
するとさっき私が被害者になったような不埒な行いをする生徒もいるのでは? …私の考えを読んだのかお姉さんは
「純粋に本を愛する者しかここには来ませんわ」
とにっこり笑って答えた。
こっこの人もクラウスさんと同じ超能力者とみた…!!
「それで私は一体何をすれば? 貸出票のチェック?」
「此方の書物に関しては、持ち出しを禁じているのですです。なので貴女のお仕事は、」
腰のところで手を合わせ先を歩いていた彼女は、やにわに振り向いて両腕を広げてみせる。
その時に彼女の動きに合わせ胸が揺れた。
……あれだけ大きかったら、キツク掴まれても痛くないんだろうな、きっと。
「この子たちを愛すること」
「………え、と?」
「要はメンテナンスですわすわ。表に出ているこの子たちは、まぁ…届く高さの本の埃落としでいいのですけれど、人にはお見せできないところに、治療しなきゃいけない子達がいて」
えーと、まぁ……本屋さんとかのお仕事? 本を編んだり? みたいな感じに捉えていいのかな(やったことないけど)。
「わかりました。ご指導宜しくお願いします。お世話になります」
深々と頭を下げる。
うん、こういうのは最初が肝心だからね、契約期間があるといえど、きっちりやらないと……!

痛んでる本が積み重なってる、小部屋に籠り製本作業こと修繕をお手伝いすること数時間後。
明日も宜しくお願いしますね、と微笑む司書教諭のアヴィーさん(名前教えてもらった)に頭を下げ私は図書室を後にした。
ぎょっとしたのがこの学園と思しき数多の生徒を見かけた時だ。
向こうも見知らぬ女に驚いているようで目を見開いてたり警戒してたり興味津津な感じだったり……まぁ多種多様なんですが。
まともに受け止められる視線の数には限度がある。
俯いて…というのは衝突事故があるかもしれないから、なるべく見ないようにしながら寮へと強く足を踏み出す。